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先ほど帰宅してまいりました。本日はちょっと夜遊びなチビウサギでございます。
いえですね、高校時代の友人とさしでご飯に行ってたのです。
彼と会うのは1年ぶりくらい?確か去年の2月ごろ会ったきりだったような気がします。相変わらずのイケメン王子オーラを放つ彼はここ半年ぐらいで人生最大のモテ期を迎える予定のようです(笑)。
まぁ、冗談はさておき。
今自分の過去を振り返ったとき、中学時代よりも大学時代よりも、高校時代が一番楽しかったなぁ~ってつくづく思います。勉強も正直ついていくのが大変で、部活も結構ハードで、くたくたのぼろぼろになりながら毎日を過ごしていたけれど、あのころが一番輝いていたような気がします。
部活には本音でぶつかりあえる仲間がいて、ケンカしたりしながらも一生懸命皆で芝居作って…。あんだけ本気でぶつかり合えたのは、きっと皆まだ子供で、でも芝居が大好きで、そしてお互いにどこか信頼を置いていたからなのかもしれない。特に私の代は同期同士のつながりが強く、いまだに連絡を取ったり今日みたいに会ったりする。私が大学1年のときは皆京都にきたしね。あのせっまい部屋(1R・5.5畳)で5人で雑魚寝したからね!w いやはや、ほんとにあれはいい思い出(笑)。
まだ子供だったおかげで私たちは沢山ぶつかり合って、そしてお互いに大人になっていった。これは大学になってから経験はできないことなんだよね。大学生になっちゃうと変に冷たいっていうか、他人は他人的な人が多くなるしさ。だから本当に私は高校時代の部活の仲間が家族のように大好き。
人によって輝く時期というのは違うけれど、輝いているときって当人は気がつかないものなんだよね。きっと、後になって振り返ってみて、「嗚呼、あの時は私輝いてたなあ」「あの時はよかったなぁ」って、そんな風に実感するんじゃないだろうか。
そして大概人間が輝くときってのは、自分の状態に気がつかないほど一心不乱に何かに打ち込んでいる時。
今、受験を目前として一心不乱に勉強している中三生は、後になって「あの時凄く私がんばってたな」って人生における輝きを感じてくれるだろうか。
長いトンネルもそろそろ終わりが見えてきた。
今はとにかくひたすらに勉強するのみ。春はもうすぐそこだ。
いえですね、高校時代の友人とさしでご飯に行ってたのです。
彼と会うのは1年ぶりくらい?確か去年の2月ごろ会ったきりだったような気がします。相変わらずのイケメン王子オーラを放つ彼はここ半年ぐらいで人生最大のモテ期を迎える予定のようです(笑)。
まぁ、冗談はさておき。
今自分の過去を振り返ったとき、中学時代よりも大学時代よりも、高校時代が一番楽しかったなぁ~ってつくづく思います。勉強も正直ついていくのが大変で、部活も結構ハードで、くたくたのぼろぼろになりながら毎日を過ごしていたけれど、あのころが一番輝いていたような気がします。
部活には本音でぶつかりあえる仲間がいて、ケンカしたりしながらも一生懸命皆で芝居作って…。あんだけ本気でぶつかり合えたのは、きっと皆まだ子供で、でも芝居が大好きで、そしてお互いにどこか信頼を置いていたからなのかもしれない。特に私の代は同期同士のつながりが強く、いまだに連絡を取ったり今日みたいに会ったりする。私が大学1年のときは皆京都にきたしね。あのせっまい部屋(1R・5.5畳)で5人で雑魚寝したからね!w いやはや、ほんとにあれはいい思い出(笑)。
まだ子供だったおかげで私たちは沢山ぶつかり合って、そしてお互いに大人になっていった。これは大学になってから経験はできないことなんだよね。大学生になっちゃうと変に冷たいっていうか、他人は他人的な人が多くなるしさ。だから本当に私は高校時代の部活の仲間が家族のように大好き。
人によって輝く時期というのは違うけれど、輝いているときって当人は気がつかないものなんだよね。きっと、後になって振り返ってみて、「嗚呼、あの時は私輝いてたなあ」「あの時はよかったなぁ」って、そんな風に実感するんじゃないだろうか。
そして大概人間が輝くときってのは、自分の状態に気がつかないほど一心不乱に何かに打ち込んでいる時。
今、受験を目前として一心不乱に勉強している中三生は、後になって「あの時凄く私がんばってたな」って人生における輝きを感じてくれるだろうか。
長いトンネルもそろそろ終わりが見えてきた。
今はとにかくひたすらに勉強するのみ。春はもうすぐそこだ。
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今度の月曜日と木曜日から、急遽他ブロックの校舎にいくことになりました。
急な人事移動とか自分に関係ないだろうなぁなんてぼんやり思ってたら、してやられました。
正直遠いし時間はかかるし、今までまったく接点のなかった生徒たちとうまくやれるのか、とても不安。
でも幸いなことに、いつか下で働いてみたいとひそかに思っていた方が室長の校舎なので、思わぬ形で夢がかなったともいえる(笑)。まぁ、十中八九毎日怒られてどやされそうな気もするけど…。でも。それでもあの人の下で働けたら、急成長を遂げられそうな気がします。
この件は本当に急で、正直授業3日前にやっと決定するってのもどうなんだと思ったけど、それより気になったのが、この件を伝えてくれたときの上司の「期待してます」という一言。
これは半分上司の口癖みたいなところもあって、私は幾度となくこのフレーズを耳にしているけど、自分に向けられて発せられた時、いつも「嗚呼、期待されてないのかな」って感じてしまう。
別に上司と仲が悪いわけではないし、嫌いって事もないのだけど、でも言われるたびにちょっとさびしくなる。
なんだろうね、本当にさ。
急な人事移動とか自分に関係ないだろうなぁなんてぼんやり思ってたら、してやられました。
正直遠いし時間はかかるし、今までまったく接点のなかった生徒たちとうまくやれるのか、とても不安。
でも幸いなことに、いつか下で働いてみたいとひそかに思っていた方が室長の校舎なので、思わぬ形で夢がかなったともいえる(笑)。まぁ、十中八九毎日怒られてどやされそうな気もするけど…。でも。それでもあの人の下で働けたら、急成長を遂げられそうな気がします。
この件は本当に急で、正直授業3日前にやっと決定するってのもどうなんだと思ったけど、それより気になったのが、この件を伝えてくれたときの上司の「期待してます」という一言。
これは半分上司の口癖みたいなところもあって、私は幾度となくこのフレーズを耳にしているけど、自分に向けられて発せられた時、いつも「嗚呼、期待されてないのかな」って感じてしまう。
別に上司と仲が悪いわけではないし、嫌いって事もないのだけど、でも言われるたびにちょっとさびしくなる。
なんだろうね、本当にさ。
皆様、おそくなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
今年もチビウサギのわたわたした日常などをつづっていきますが、生ぬるい目で見守ってやってください。
あ、ちなみに昨年宣言した「家計簿をつけられる人になる!」という目標は、4月中にあえなく粉砕しました。というのも、引越しや予習やなんやらで正直つける気力がなかった&立替出費が多いので(交通費は全部立替)そうするとあとで帳尻を合わせるのがめんどくさいなぁっていうのが主な理由。ま、いいんです。大体チビウサギの1ヶ月の食費は3万あれば足りるということは、長年の一人暮らし経験からわかりますから(=ω=@)
今年の目標は、まだ決まってないのですが、何事に関しても正直に、そして素直に取り組んでいく姿勢だけは依然として保持していきたいとおもいます。
冬期講習も明日が最後。
今の時期で悩んでない中三生なんて、数えるほどしかいなくて、きっと皆何かしらで悩んで葛藤している。
私自身は勉強のやり方で悩んだというより、親子関係や周囲の環境のほうに頭を悩まされた覚えがあるが、世の中の子供は皆私と同じ訳はないので、当然勉強のやり方で相談を受けることもある。
本日も「歴史の流れがつかめない」、「公民の国会内閣裁判所のところがごちゃごちゃになっちゃって整理ができない」という相談を受けた。正直、「この時期になってソレを悩みだすのか…」という思いもあるのだが、今まで苦手だからといって放置してきたことは本人たちが一番よくわかっているので、そこを突っ込むような野暮なマネはしない。むしろよい人生経験だとおもっている。
だって大学受験のときに同じ過ちをおかすほど、人間は馬鹿ではないから。
次の受験を意識したときに、苦手教科を放置しておいたら後々えらい目にあうという事実を、彼らは身をもって知ったわけです。
不思議だけどさ、今の中学生って危機感の薄い子が多いよね。苦手な科目を放置しておいたら、そのしっぺ返しがくるのは自分なのに、中1・2年生の時「今はまだ部活が忙しいからできないだけだ」「時間がない」とかいって、苦手を苦手のまま放置しちゃう。確かに部活も立派な課外活動だけど、でもやっぱりまずやるべきは日々の宿題と復習だろう。365日×2年間で習った知識を、部活を引退した3年生になってから覚えようなんてどだい無理な話なのですよ。
『嫌いだからやらない』なんてそんなちんけな理屈は許されない。嫌いだろうがなんだろうが、やらなくてはならないことが世の中にはあるのだということを、しっかりと子供に伝えてくれる大人は、もう減ってしまったのだろうか。
あ、勿論ちゃんと危機感をもって勉強をしている少年少女は、がんばってソレを続けてくださいね(・ω・@)日々努力できる姿はとても素敵です。
今年もチビウサギのわたわたした日常などをつづっていきますが、生ぬるい目で見守ってやってください。
あ、ちなみに昨年宣言した「家計簿をつけられる人になる!」という目標は、4月中にあえなく粉砕しました。というのも、引越しや予習やなんやらで正直つける気力がなかった&立替出費が多いので(交通費は全部立替)そうするとあとで帳尻を合わせるのがめんどくさいなぁっていうのが主な理由。ま、いいんです。大体チビウサギの1ヶ月の食費は3万あれば足りるということは、長年の一人暮らし経験からわかりますから(=ω=@)
今年の目標は、まだ決まってないのですが、何事に関しても正直に、そして素直に取り組んでいく姿勢だけは依然として保持していきたいとおもいます。
冬期講習も明日が最後。
今の時期で悩んでない中三生なんて、数えるほどしかいなくて、きっと皆何かしらで悩んで葛藤している。
私自身は勉強のやり方で悩んだというより、親子関係や周囲の環境のほうに頭を悩まされた覚えがあるが、世の中の子供は皆私と同じ訳はないので、当然勉強のやり方で相談を受けることもある。
本日も「歴史の流れがつかめない」、「公民の国会内閣裁判所のところがごちゃごちゃになっちゃって整理ができない」という相談を受けた。正直、「この時期になってソレを悩みだすのか…」という思いもあるのだが、今まで苦手だからといって放置してきたことは本人たちが一番よくわかっているので、そこを突っ込むような野暮なマネはしない。むしろよい人生経験だとおもっている。
だって大学受験のときに同じ過ちをおかすほど、人間は馬鹿ではないから。
次の受験を意識したときに、苦手教科を放置しておいたら後々えらい目にあうという事実を、彼らは身をもって知ったわけです。
不思議だけどさ、今の中学生って危機感の薄い子が多いよね。苦手な科目を放置しておいたら、そのしっぺ返しがくるのは自分なのに、中1・2年生の時「今はまだ部活が忙しいからできないだけだ」「時間がない」とかいって、苦手を苦手のまま放置しちゃう。確かに部活も立派な課外活動だけど、でもやっぱりまずやるべきは日々の宿題と復習だろう。365日×2年間で習った知識を、部活を引退した3年生になってから覚えようなんてどだい無理な話なのですよ。
『嫌いだからやらない』なんてそんなちんけな理屈は許されない。嫌いだろうがなんだろうが、やらなくてはならないことが世の中にはあるのだということを、しっかりと子供に伝えてくれる大人は、もう減ってしまったのだろうか。
あ、勿論ちゃんと危機感をもって勉強をしている少年少女は、がんばってソレを続けてくださいね(・ω・@)日々努力できる姿はとても素敵です。
おこんばんわ。ここ数日、世間は三連休だとかなんとか騒いでおりますが、がっつり出勤してまいりました。
一応昨日休みだったけど、もうあとは30日までお仕事です。やばい、年賀状まだかけてないや…。というか原案すら練ってないや…(笑)。
さて、本日のテーマ:「鈍感は罪である」。
人間誰しも万能ではないし、気がつけないこともあるだろうけどさ。でもやっぱり自分の発言で他人がどういうリアクションor表情をしたかってのぐらいはちゃんと気にしなきゃいけないなって本日切に感じました。
こういったら偏見だと怒られてしまうけれど、男の人に鈍感な方が多い気がするのは気のせいでしょうか…。たとえば女性なんかは男性が少し髪をきっただけでも気づくものですが、男性なんかは女性が髪を切ったとしても気がついていない人が多いような…。あとはデリカシーのない発言をするのは大概男性側のような気も…。
あぁ、これはチビウサギの独断と偏見による価値基準に基づいておりますので、「俺は繊細な人間で、デリカシーのない発言なんかしたことがないんだZe」って方は軽~くドライブスルーしておいてください(・ω・@
でもさ。男女問わずそういう発言なり行動をする人って絶対自覚がないんだよね。それに「デリカシーのない発言をしよう」と思ってするのは逆になんか意地悪なだけな気がする(笑)。単に受け取り側が敏感すぎて、普通の発言をデリカシーのないものとして受け取ってしまうこともあるかもしれない。
じゃあ、「自覚がなかったんで仕方ないです。自分はこういう人間です。諦めてください」ってのもなんか人としての器がちっこいじゃない?w もしくは「自分は普通の発言をしたまでで、アンタが自意識過剰なだけだ」って言っちゃうのも完全アウトだよね。
つまり結論として「気がつかない(=鈍感な)のは罪」という本日のテーマにたどり着くわけです。
これは勉強でも一緒だよね。
自分が何故間違えたのか、どうしてその答えが正しいのかに気がつけないと、成長はしていかない。
人間性だってきっと同じなわけですよ。
自分は完璧な人間だと思っている人ほど、不備があり、常に謙虚に自分を見つめている人ほど、完璧な人間なのだろう。
驕らず。謙虚に。自分と、その環境をしっかりと把握しながら、これからの生活を送っていこうと思う。
一応昨日休みだったけど、もうあとは30日までお仕事です。やばい、年賀状まだかけてないや…。というか原案すら練ってないや…(笑)。
さて、本日のテーマ:「鈍感は罪である」。
人間誰しも万能ではないし、気がつけないこともあるだろうけどさ。でもやっぱり自分の発言で他人がどういうリアクションor表情をしたかってのぐらいはちゃんと気にしなきゃいけないなって本日切に感じました。
こういったら偏見だと怒られてしまうけれど、男の人に鈍感な方が多い気がするのは気のせいでしょうか…。たとえば女性なんかは男性が少し髪をきっただけでも気づくものですが、男性なんかは女性が髪を切ったとしても気がついていない人が多いような…。あとはデリカシーのない発言をするのは大概男性側のような気も…。
あぁ、これはチビウサギの独断と偏見による価値基準に基づいておりますので、「俺は繊細な人間で、デリカシーのない発言なんかしたことがないんだZe」って方は軽~くドライブスルーしておいてください(・ω・@
でもさ。男女問わずそういう発言なり行動をする人って絶対自覚がないんだよね。それに「デリカシーのない発言をしよう」と思ってするのは逆になんか意地悪なだけな気がする(笑)。単に受け取り側が敏感すぎて、普通の発言をデリカシーのないものとして受け取ってしまうこともあるかもしれない。
じゃあ、「自覚がなかったんで仕方ないです。自分はこういう人間です。諦めてください」ってのもなんか人としての器がちっこいじゃない?w もしくは「自分は普通の発言をしたまでで、アンタが自意識過剰なだけだ」って言っちゃうのも完全アウトだよね。
つまり結論として「気がつかない(=鈍感な)のは罪」という本日のテーマにたどり着くわけです。
これは勉強でも一緒だよね。
自分が何故間違えたのか、どうしてその答えが正しいのかに気がつけないと、成長はしていかない。
人間性だってきっと同じなわけですよ。
自分は完璧な人間だと思っている人ほど、不備があり、常に謙虚に自分を見つめている人ほど、完璧な人間なのだろう。
驕らず。謙虚に。自分と、その環境をしっかりと把握しながら、これからの生活を送っていこうと思う。
この仕事についてから、ずっと疑問だったことがある。
それは、「何故勉強の得意な子とそうでない子がいるのか」ということ。
周囲の環境とか勉強時間の長さとか色々考えては腑におちなかったのだけど、今さっきとある方々のブログをみて何か一つの答えのようなものにたどり着いた。
結論。
勉強のできる子というのは、自分が「何故」間違えたのか、「何故」自分の答えじゃダメなのか、「何故」答えがそのようになるのか、を徹底的に分析し、次に生かせる子なのではないだろうか。
勉強を苦手とする子ほど、赤ペンで間違った答えを直し、それで終わりにしてしまう。そんなんじゃ勉強ができるようになるはずがない。やはり、今自分が見ている子たちの大半に足りないものは「何故」と考えて分析する力。そしてそれを次につなげる努力。
いまさら気がついたのかよ、遅いよ!というツッコミはさておき(笑)、あさってから、冬期講習が始まる。
少しでも多くの生徒が「何故」と考えられるように、どうしたらいいのか。それについては各校舎ごとでの方針もあるだろうから、校舎担当の先輩方と色々話してみようとおもう。
それは、「何故勉強の得意な子とそうでない子がいるのか」ということ。
周囲の環境とか勉強時間の長さとか色々考えては腑におちなかったのだけど、今さっきとある方々のブログをみて何か一つの答えのようなものにたどり着いた。
結論。
勉強のできる子というのは、自分が「何故」間違えたのか、「何故」自分の答えじゃダメなのか、「何故」答えがそのようになるのか、を徹底的に分析し、次に生かせる子なのではないだろうか。
勉強を苦手とする子ほど、赤ペンで間違った答えを直し、それで終わりにしてしまう。そんなんじゃ勉強ができるようになるはずがない。やはり、今自分が見ている子たちの大半に足りないものは「何故」と考えて分析する力。そしてそれを次につなげる努力。
いまさら気がついたのかよ、遅いよ!というツッコミはさておき(笑)、あさってから、冬期講習が始まる。
少しでも多くの生徒が「何故」と考えられるように、どうしたらいいのか。それについては各校舎ごとでの方針もあるだろうから、校舎担当の先輩方と色々話してみようとおもう。