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数日前、マンションの駐輪場においておいた自転車のサドルを盗まれ、仕方なく徒歩で京都の町を移動しているチビ兎です。まったく…サドル盗んでなにになるってのよ。
そんなわけで今回は良識のお話です。
一昨日、昨日は京田辺でのお仕事だったのですが、休憩時間中、ちょっとしたハプニングが起こりました。私はブースの後ろにある休憩所(一般のお客さんが座ってテレビ見られる所)で御飯食べてぼんやりしてたのですが、隣に座っていたおじいさんが突然携帯電話で喋りだしたんです。どうやらかかってきた様なのですが、いかんせん耳の遠い方らしく、かなりの大声で喋っている始末。完全にテレビみている人の邪魔です。
私なんかはよく電車内で大声で電話で喋るお年寄りをよく見ているから「嗚呼、またいつものことか」とスルーしましたが、その携帯おじいさんに注意をした方がいたんです。
そしたら、まぁ喧嘩になる喧嘩になる。「テレビ見てる人の邪魔になるから、喋るならむこうに行ってくれ」と注意されたら「別にココは携帯禁止じゃないだろう!かかってきたんだからでたってええやないか!」とわめき散らす携帯おじいさんには唖然としました。
そりゃね、誰も電話にでちゃだめとは言ってないさ。ただ大声で喋ったらほかの人の迷惑になるでしょうと言っているのだよ。
注意をしたのもご年配の方(携帯おじいさんよりかは若い方)だったのですが、「はぁ!?あんた常識がないんか!」と怒ってました。うん、まさしくその通り。その後、注意をしたおじいさんが「警備員を呼んでくれ!」と叫び、携帯おじいさんはすたこらさっさとトンズラしてました。
大声で通話するおじいさんも悪いけど、大声で注意をするおじいさんも悪い。どっちもどっちじゃん、ってそのときの私は苦笑してたんですが、夕方になって注意をしたおじいさんと少し話す機会があったんです。そのとき「昼間は迷惑かけましたなぁ」って笑いながら謝ってくれて、「嗚呼、仕事着着てなかったのに私が隣に座ってた事も、そして大声で注意したことが周囲の人の迷惑になったということも、ちゃんと分かって反省できる人なんだな」と感心しました。それに笑うと全く邪気がなくて、良識あるいい人なのだろうということがすぐに分かりました。
話によると、どうやらおじいさんは中国の残留孤児だったらしく、1歳半ぐらいまで中国に居たそうです。その後敗戦国:日本に帰ってきて、食べるものもなくて、必死になって生きてきたと言っていました。その話を聞いていて、だからこそ、ああいう常識のない人を見ると余計に頭にくるんだろうなと感じました。
「若くたって、年取ってたって、常識がない奴は常識がない。常識がある奴は常識がある」
そんなことを改めて感じました。「最近の若い子は…」なんていう常套句があるけれども、別に若い子だけが問題の時代じゃないんだよね。
そんなわけで今回は良識のお話です。
一昨日、昨日は京田辺でのお仕事だったのですが、休憩時間中、ちょっとしたハプニングが起こりました。私はブースの後ろにある休憩所(一般のお客さんが座ってテレビ見られる所)で御飯食べてぼんやりしてたのですが、隣に座っていたおじいさんが突然携帯電話で喋りだしたんです。どうやらかかってきた様なのですが、いかんせん耳の遠い方らしく、かなりの大声で喋っている始末。完全にテレビみている人の邪魔です。
私なんかはよく電車内で大声で電話で喋るお年寄りをよく見ているから「嗚呼、またいつものことか」とスルーしましたが、その携帯おじいさんに注意をした方がいたんです。
そしたら、まぁ喧嘩になる喧嘩になる。「テレビ見てる人の邪魔になるから、喋るならむこうに行ってくれ」と注意されたら「別にココは携帯禁止じゃないだろう!かかってきたんだからでたってええやないか!」とわめき散らす携帯おじいさんには唖然としました。
そりゃね、誰も電話にでちゃだめとは言ってないさ。ただ大声で喋ったらほかの人の迷惑になるでしょうと言っているのだよ。
注意をしたのもご年配の方(携帯おじいさんよりかは若い方)だったのですが、「はぁ!?あんた常識がないんか!」と怒ってました。うん、まさしくその通り。その後、注意をしたおじいさんが「警備員を呼んでくれ!」と叫び、携帯おじいさんはすたこらさっさとトンズラしてました。
大声で通話するおじいさんも悪いけど、大声で注意をするおじいさんも悪い。どっちもどっちじゃん、ってそのときの私は苦笑してたんですが、夕方になって注意をしたおじいさんと少し話す機会があったんです。そのとき「昼間は迷惑かけましたなぁ」って笑いながら謝ってくれて、「嗚呼、仕事着着てなかったのに私が隣に座ってた事も、そして大声で注意したことが周囲の人の迷惑になったということも、ちゃんと分かって反省できる人なんだな」と感心しました。それに笑うと全く邪気がなくて、良識あるいい人なのだろうということがすぐに分かりました。
話によると、どうやらおじいさんは中国の残留孤児だったらしく、1歳半ぐらいまで中国に居たそうです。その後敗戦国:日本に帰ってきて、食べるものもなくて、必死になって生きてきたと言っていました。その話を聞いていて、だからこそ、ああいう常識のない人を見ると余計に頭にくるんだろうなと感じました。
「若くたって、年取ってたって、常識がない奴は常識がない。常識がある奴は常識がある」
そんなことを改めて感じました。「最近の若い子は…」なんていう常套句があるけれども、別に若い子だけが問題の時代じゃないんだよね。
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お米が炊き上がってきたときの香りがとてつもなく好きです。炊きたてのご飯を、醤油つけた海苔でくるんで食べるのはもっと好きです。
普段どんな食生活してるんだって怒られそうですが、こういう素朴な味を食べたくなるときってあると思うんですよね。
久しぶりにバイトで休憩がとれたので、今はゆっくりランチタイム(*´∇`*)本日の昼食はドトールのミラノサンドBとティラミス・オレです。どちらも美味しいんですが、やっぱり炊きたてのご飯には敵わないよなぁ…(笑)。白米+海苔+醤油だけでも充分素敵だけど、そこに味噌汁がつくと更に食欲が湧いてくる。以前、白米を卵かけご飯にしてみたら醤油と海苔のハーモニーが半減したので、やはり白米の持つ「素材の味をいかす力」は偉大なのだと実感しました。
こういう時だけ、日本に生まれてよかったなぁって思います。
年末に体調を崩した祖父が20日の朝に亡くなり、昨日は御通夜、本日はお葬式と参列してきました。肺炎が快方に向かい出した矢先の出来事でした。現在帰りの新幹線です。
昨日、葬儀所に着いたとき、丁度祖父は白装束を着せてもらっていました。私はお葬式に参列するのは初めてで、勿論御遺体を見るのも初めてで、「人って死ぬとこんなに色が白くなるんだ」と奇妙な感覚を覚えました。棺の中には生前着用していた衣類を道中の着替えとしていれたり、お弁当も持たせてあげたりして、不謹慎ながらも面白いなと思ってしまった。お弁当持って、三途の川を渡る船代金持って、着替え持って、道中の話し相手である仏さんを連れて、魔除けの杖ついて、そうやって極楽浄土をめざして歩いていくとされる様は、故人の人生がいまだ継続していると主張しているようで、非常に感慨深かったです。
ただ、「お父さん、どうして死んじゃったの」と時折泣く祖母の姿は、数十年後の自分の姿を見ているようでいたたまれなかったです。やっぱり好きだった人の死に顔を見るのはしんどいと思う。親しい人の死に顔は見たくない。そして逆に、自分が死んだとき、親しい人には死に顔を見せたくない。だってしんどい思いして欲しくないもん。だけど必ず人は死ぬ。これはどうしようもない。
五年位前、親友が祖父を亡くした折、定期試験が理由で式に参列できなかったと非常に悔いていたのを鮮明に覚えている。電車内で静かに泣き出したので、肩を貸したから印象強く残ってるんだけなんだけどね(笑)。
私は、人が死ぬことは世の定めだから、仕方ないと思っている。親友程情に厚いわけではなく、割り切る事ができる性格である。だから訃報を聞いても取り乱したり泣く事はなかった。ただ、孫代表で祖父の位牌の前に立った時、何故か自然と涙が溢れてしまった。それはきっと「死者に話しかける」という立場に置かれたからだろう。返事が返ってこない相手と知りながら話しかけるのは、辛い。その虚しさで涙腺が少々緩み、祖母にハンカチを貸した事を後悔した。「あ~…。ハンカチ手元にないから泣いたら困るじゃん」と思えば涙を抑え込める体なので、数分後には元通りでしたが(・ω・`)芝居のおかげで、よっぽどじゃないかぎり、個人的な負の感情と顔の表情を切り離せるようになったので非情な人間に映ってたかもね。でも、しくしくと泣くような湿った空気を醸し出したくないのが私のスタンス。そもそも私はそういうキャラじゃないし(笑)。
これを言ったら両親に怒られるかもしれないが、祖父が骨壷に納まる一部始終を見ても、感情が強く揺さぶられる事はなかった。悲しかったけど、涙を抑え込める程度だった。だから、「死者に話しかける」状況の虚しさはよっぽどだったのだと、今更ながら思う。会話は相手が返事をしてくれて、初めて成り立つ行為だ。相手が動物だったり物である場合は返事が無くて当たり前である。恐らく、位牌前で祖父の返事が無いことを「当たり前」と再認識したことによって、祖父が有から無に変化したことを実感したのだろう。
火葬場に行く前、白い鳩を飛ばした。迷う事なく、祖父が極楽浄土まで元気に旅をしてくれるといいな。
昨日、葬儀所に着いたとき、丁度祖父は白装束を着せてもらっていました。私はお葬式に参列するのは初めてで、勿論御遺体を見るのも初めてで、「人って死ぬとこんなに色が白くなるんだ」と奇妙な感覚を覚えました。棺の中には生前着用していた衣類を道中の着替えとしていれたり、お弁当も持たせてあげたりして、不謹慎ながらも面白いなと思ってしまった。お弁当持って、三途の川を渡る船代金持って、着替え持って、道中の話し相手である仏さんを連れて、魔除けの杖ついて、そうやって極楽浄土をめざして歩いていくとされる様は、故人の人生がいまだ継続していると主張しているようで、非常に感慨深かったです。
ただ、「お父さん、どうして死んじゃったの」と時折泣く祖母の姿は、数十年後の自分の姿を見ているようでいたたまれなかったです。やっぱり好きだった人の死に顔を見るのはしんどいと思う。親しい人の死に顔は見たくない。そして逆に、自分が死んだとき、親しい人には死に顔を見せたくない。だってしんどい思いして欲しくないもん。だけど必ず人は死ぬ。これはどうしようもない。
五年位前、親友が祖父を亡くした折、定期試験が理由で式に参列できなかったと非常に悔いていたのを鮮明に覚えている。電車内で静かに泣き出したので、肩を貸したから印象強く残ってるんだけなんだけどね(笑)。
私は、人が死ぬことは世の定めだから、仕方ないと思っている。親友程情に厚いわけではなく、割り切る事ができる性格である。だから訃報を聞いても取り乱したり泣く事はなかった。ただ、孫代表で祖父の位牌の前に立った時、何故か自然と涙が溢れてしまった。それはきっと「死者に話しかける」という立場に置かれたからだろう。返事が返ってこない相手と知りながら話しかけるのは、辛い。その虚しさで涙腺が少々緩み、祖母にハンカチを貸した事を後悔した。「あ~…。ハンカチ手元にないから泣いたら困るじゃん」と思えば涙を抑え込める体なので、数分後には元通りでしたが(・ω・`)芝居のおかげで、よっぽどじゃないかぎり、個人的な負の感情と顔の表情を切り離せるようになったので非情な人間に映ってたかもね。でも、しくしくと泣くような湿った空気を醸し出したくないのが私のスタンス。そもそも私はそういうキャラじゃないし(笑)。
これを言ったら両親に怒られるかもしれないが、祖父が骨壷に納まる一部始終を見ても、感情が強く揺さぶられる事はなかった。悲しかったけど、涙を抑え込める程度だった。だから、「死者に話しかける」状況の虚しさはよっぽどだったのだと、今更ながら思う。会話は相手が返事をしてくれて、初めて成り立つ行為だ。相手が動物だったり物である場合は返事が無くて当たり前である。恐らく、位牌前で祖父の返事が無いことを「当たり前」と再認識したことによって、祖父が有から無に変化したことを実感したのだろう。
火葬場に行く前、白い鳩を飛ばした。迷う事なく、祖父が極楽浄土まで元気に旅をしてくれるといいな。
先日から脱出ゲームにめちゃくちゃはまってるアホ兎です。こんばんわ。しかし私の脳みそフル回転しても、所詮は小さな兎の脳みそ。脱出するまでにかなりの時間がかかっております(笑)。い、いいもんっ!脱出できればいいんだもんっ!w
それはさておき、数日前からmixiのとあるコミュニティに参加しております。恋愛関係のコミュニティなんですが、それがもう凄いの。トピックへの書き込みが10分毎に行われているんです。確か「好きな人に伝えておきたいこと」みたいな、そんなトピックだったと思うんですが、10分毎の書き込みって尋常じゃないよ!w 書いてある内容は多種多様で、彼氏へのちょっとした「ありがとう」だったり、元彼への後悔、もしくは片思い真っ只中の切ない想いが書かれていたり…。基本的に私は読む専門としてコミュニティに参加するのですが、これは読み応えたっぷりでびっくりしました。ちなみにコミュニティ全体の更新率も非常に高く、1、2分で必ずどこかのトピックが更新されてます。ふぉおお、恋する女の子ってこんなにいるのねぇって改めて実感した瞬間です。
今流行りの恋愛ニートまではいかないけれど、私の周りにはあまり恋愛に興味がない人が多かったから、このトピックの更新率は非常に刺激的でした。片思いでも、昔の恋でも、「恋愛の楽しさ切なさ」を味わっている人が毎秒一人くらいの割合で日本にはいるんじゃないのかと思ってしまった位。このコミュニティの更新率から、少なくとも3分に1人は確実にいるようですが(笑)。
チョコレートって食べると恋愛しているような気分になれるらしいよ。
いつだかそんな話を聞いた。稀に甘いものが嫌いな女性もいるけど、大概チョコは女性に人気のお菓子であるといえます。バレンタインの日に「友チョコ」なんてのができるくらいだからねw かくいう私もマーブルチョコやM&Mチョコ、コアラのマーチやポッキー等々は大好き。まぁ、最近はそんなに食べないけれども。
年末年始と実家に帰った時に、次女がものっそい量のチョコレートを摂取していました。鼻血が出るくらい食べ于ってどーなの?と思いつつ、「そんなに食べると肌によくないよ」といったら「もう肌は綺麗じゃないからいいの!」という、なんともいえない答えが帰ってきました…w
目を覚ませ! 君が味わっている恋愛気分はチョコレートへの恋なんだぞ! 女まで捨てるんじゃないっ!w
どんな形であれ、女性は常に恋愛していたい生き物なのかもしれないね。
それはさておき、数日前からmixiのとあるコミュニティに参加しております。恋愛関係のコミュニティなんですが、それがもう凄いの。トピックへの書き込みが10分毎に行われているんです。確か「好きな人に伝えておきたいこと」みたいな、そんなトピックだったと思うんですが、10分毎の書き込みって尋常じゃないよ!w 書いてある内容は多種多様で、彼氏へのちょっとした「ありがとう」だったり、元彼への後悔、もしくは片思い真っ只中の切ない想いが書かれていたり…。基本的に私は読む専門としてコミュニティに参加するのですが、これは読み応えたっぷりでびっくりしました。ちなみにコミュニティ全体の更新率も非常に高く、1、2分で必ずどこかのトピックが更新されてます。ふぉおお、恋する女の子ってこんなにいるのねぇって改めて実感した瞬間です。
今流行りの恋愛ニートまではいかないけれど、私の周りにはあまり恋愛に興味がない人が多かったから、このトピックの更新率は非常に刺激的でした。片思いでも、昔の恋でも、「恋愛の楽しさ切なさ」を味わっている人が毎秒一人くらいの割合で日本にはいるんじゃないのかと思ってしまった位。このコミュニティの更新率から、少なくとも3分に1人は確実にいるようですが(笑)。
チョコレートって食べると恋愛しているような気分になれるらしいよ。
いつだかそんな話を聞いた。稀に甘いものが嫌いな女性もいるけど、大概チョコは女性に人気のお菓子であるといえます。バレンタインの日に「友チョコ」なんてのができるくらいだからねw かくいう私もマーブルチョコやM&Mチョコ、コアラのマーチやポッキー等々は大好き。まぁ、最近はそんなに食べないけれども。
年末年始と実家に帰った時に、次女がものっそい量のチョコレートを摂取していました。鼻血が出るくらい食べ于ってどーなの?と思いつつ、「そんなに食べると肌によくないよ」といったら「もう肌は綺麗じゃないからいいの!」という、なんともいえない答えが帰ってきました…w
目を覚ませ! 君が味わっている恋愛気分はチョコレートへの恋なんだぞ! 女まで捨てるんじゃないっ!w
どんな形であれ、女性は常に恋愛していたい生き物なのかもしれないね。
現在鈍行使って名古屋まで移動中。本日は会社の事前研修なのです。本研修は3月頭から静岡でやるので、今日は勤務地発表とかそういった事務連絡が主のようです。
さて、関ヶ原の辺りを通過したとき、チビ兎は車窓から外を眺めていて奇妙な感覚に陥りました。関ヶ原の駅周辺は民家もそこそこ沢山ありますし病院っぽいものも見えました。だけど、少し離れると民家は点在し、景色の殆どが田畑になります。
この地に暮らしている人達は、どんな幸せを感じているのだろう。
まだ雪の残る関ヶ原をみながら、ふとそんなことを感じました。車使って遠方まで仕事しにいくのかな。ひたすら田畑を耕してるのかな。それとも近隣のスーパーとかでパートとかしてるのかな。それともここには年金暮らしのご年配しかいないのかな。とかさ(笑)。
でも、大概の人が家族を持ってて、それに幸せを見いだしているのかな、と考えた時、人生って複雑だなぁって考え込んでしまった。仕事にやりがいと幸せを感じる人は、きっと家族をつくることを拒否してしまう。だって家族ができたら面倒が増えるもの。ところが仕事にそこまでやりがいと幸せを見いだせない人は、家族を作って幸せになろうとする。どっちがいいとか悪いとかそういう事じゃなくて、単純に「あーぁ」ってやるせなくなったよ。
愛こそ全てだ!的なことをいって家庭に幸せを見出すということは、すなわち他の事に幸せを見いだせないということなんじゃないかな。私はそういう「最終手段への幸せ」にしがみつくのは嫌なんだけど、でも田舎でのんびり家族と暮らす事もいいなぁなんて、心のどこかで思ってる。のどかなのは好きだしさ。何より好きな人の事をずっと考えていられることは幸せだしさ。
いい加減理想と現実を断ち切らなきゃな。
よし、名古屋についた!w
さて、関ヶ原の辺りを通過したとき、チビ兎は車窓から外を眺めていて奇妙な感覚に陥りました。関ヶ原の駅周辺は民家もそこそこ沢山ありますし病院っぽいものも見えました。だけど、少し離れると民家は点在し、景色の殆どが田畑になります。
この地に暮らしている人達は、どんな幸せを感じているのだろう。
まだ雪の残る関ヶ原をみながら、ふとそんなことを感じました。車使って遠方まで仕事しにいくのかな。ひたすら田畑を耕してるのかな。それとも近隣のスーパーとかでパートとかしてるのかな。それともここには年金暮らしのご年配しかいないのかな。とかさ(笑)。
でも、大概の人が家族を持ってて、それに幸せを見いだしているのかな、と考えた時、人生って複雑だなぁって考え込んでしまった。仕事にやりがいと幸せを感じる人は、きっと家族をつくることを拒否してしまう。だって家族ができたら面倒が増えるもの。ところが仕事にそこまでやりがいと幸せを見いだせない人は、家族を作って幸せになろうとする。どっちがいいとか悪いとかそういう事じゃなくて、単純に「あーぁ」ってやるせなくなったよ。
愛こそ全てだ!的なことをいって家庭に幸せを見出すということは、すなわち他の事に幸せを見いだせないということなんじゃないかな。私はそういう「最終手段への幸せ」にしがみつくのは嫌なんだけど、でも田舎でのんびり家族と暮らす事もいいなぁなんて、心のどこかで思ってる。のどかなのは好きだしさ。何より好きな人の事をずっと考えていられることは幸せだしさ。
いい加減理想と現実を断ち切らなきゃな。
よし、名古屋についた!w