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いろんな事にくじけそうになりながら、毎日一生懸命生きてる小さな兎のヒトリゴト。
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年末に体調を崩した祖父が20日の朝に亡くなり、昨日は御通夜、本日はお葬式と参列してきました。肺炎が快方に向かい出した矢先の出来事でした。現在帰りの新幹線です。


昨日、葬儀所に着いたとき、丁度祖父は白装束を着せてもらっていました。私はお葬式に参列するのは初めてで、勿論御遺体を見るのも初めてで、「人って死ぬとこんなに色が白くなるんだ」と奇妙な感覚を覚えました。棺の中には生前着用していた衣類を道中の着替えとしていれたり、お弁当も持たせてあげたりして、不謹慎ながらも面白いなと思ってしまった。お弁当持って、三途の川を渡る船代金持って、着替え持って、道中の話し相手である仏さんを連れて、魔除けの杖ついて、そうやって極楽浄土をめざして歩いていくとされる様は、故人の人生がいまだ継続していると主張しているようで、非常に感慨深かったです。


ただ、「お父さん、どうして死んじゃったの」と時折泣く祖母の姿は、数十年後の自分の姿を見ているようでいたたまれなかったです。やっぱり好きだった人の死に顔を見るのはしんどいと思う。親しい人の死に顔は見たくない。そして逆に、自分が死んだとき、親しい人には死に顔を見せたくない。だってしんどい思いして欲しくないもん。だけど必ず人は死ぬ。これはどうしようもない。


五年位前、親友が祖父を亡くした折、定期試験が理由で式に参列できなかったと非常に悔いていたのを鮮明に覚えている。電車内で静かに泣き出したので、肩を貸したから印象強く残ってるんだけなんだけどね(笑)。
私は、人が死ぬことは世の定めだから、仕方ないと思っている。親友程情に厚いわけではなく、割り切る事ができる性格である。だから訃報を聞いても取り乱したり泣く事はなかった。ただ、孫代表で祖父の位牌の前に立った時、何故か自然と涙が溢れてしまった。それはきっと「死者に話しかける」という立場に置かれたからだろう。返事が返ってこない相手と知りながら話しかけるのは、辛い。その虚しさで涙腺が少々緩み、祖母にハンカチを貸した事を後悔した。「あ~…。ハンカチ手元にないから泣いたら困るじゃん」と思えば涙を抑え込める体なので、数分後には元通りでしたが(・ω・`)芝居のおかげで、よっぽどじゃないかぎり、個人的な負の感情と顔の表情を切り離せるようになったので非情な人間に映ってたかもね。でも、しくしくと泣くような湿った空気を醸し出したくないのが私のスタンス。そもそも私はそういうキャラじゃないし(笑)。
これを言ったら両親に怒られるかもしれないが、祖父が骨壷に納まる一部始終を見ても、感情が強く揺さぶられる事はなかった。悲しかったけど、涙を抑え込める程度だった。だから、「死者に話しかける」状況の虚しさはよっぽどだったのだと、今更ながら思う。会話は相手が返事をしてくれて、初めて成り立つ行為だ。相手が動物だったり物である場合は返事が無くて当たり前である。恐らく、位牌前で祖父の返事が無いことを「当たり前」と再認識したことによって、祖父が有から無に変化したことを実感したのだろう。


火葬場に行く前、白い鳩を飛ばした。迷う事なく、祖父が極楽浄土まで元気に旅をしてくれるといいな。

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