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いろんな事にくじけそうになりながら、毎日一生懸命生きてる小さな兎のヒトリゴト。
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自転車の鍵は毎回ほぼ無意識にかけている。私の中で自転車を降りる一連の動作には鍵をかけるまでが含まれているのです。
ここ数日、自転車の鍵をかけた時「嗚呼、これでまた一つ終わってしまったなぁ」とよく感じる。寝る時やご飯を食べている時ではない。自転車の鍵をかけたとき、ただその一瞬、卒論提出が終わった事を実感する。


幼い頃から、私にとって自転車は唯一自由に使う事が許される足だった。図書館に行くときも、塾に行くときも、家出をしたときも、常に自転車が隣にいた。だから大学に入ってからもバイクの免許をとる事もなく、自転車を愛用していた。
私は自動車やバイクが好きじゃない。少々語弊があるので言っておくが、別に自転車やバイクそのものは嫌いじゃない。自転車やバイクを運転する事が嫌いなのだ。乗る事は楽チンだからいいのだけど、自分で運転したいとは思えない。それはきっと自分の力で、自分の足で、動かす事が出来ないからだろう。


楽をするということは自分自身を駄目にする事だ。もしかすると進んで楽をしたがるのは、駄目人間だけなのかもしれない。今回東京都で成立したくだらないことこの上ない条例も、ちゃんと自分の子供にモラルを教えられない馬鹿な保護者が騒いだのが原因だろう。自分じゃできないから、全て周囲の環境が悪いと言う。自ら「自分は馬鹿な保護者です」アピールしているのだから、その阿呆くささ加減には失笑してしまう。まぁ、この条例に関しては長くなるので、また後日書くことにします。
とにかく、楽をするのは良くないということだ。だから私は自動車、バイク、電子辞書を使う事が大嫌いだ。自分の足や頭を使わないのは楽だけど、脳みそが溶けるだけだよ。


卒論提出が終わった。この事実に大学4回生はほっとしているだろう。気が緩んでるだろう。数日はそれでもいいかもしれない。でも卒論提出は通過点だ。ゴールじゃない。私達の目の前には長い長い道がのびている。


私は十分に休憩をした。さて、そろそろ再び自転車で走りだすか。やるべき事、やりたい事、目の前の道にはそれらが沢山落ちている。

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ご無沙汰してました。ちび兎です。
卒論も大詰め!にも関わらず、未だ結論の途中で筆が止まってます。今夜は寝ないで頑張るよ!

こうやって卒論の話をすると、よく「どんな題材で卒論書いてるの?」と聞かれます。
何回かブログに軽く書いてるかもしれませんが、私は角田光代さんの『空中庭園』という現代文学で「母と娘の関係性」について書いております。今大体14,000字くらいかけてます。結論がもちっとのびたら15,000字前後になるのかな。
三章立てで卒論書いてるけど、やっぱり母娘関係って複雑なんだよなぁ…、って改めてしみじみ感じてしまう。私は娘で、息子になったことはないから父息子関係も複雑なのかは判らない。でも、とりあえず母娘関係はものっそい複雑だよ、うん。

私は小さい頃から両親が苦手だった。多分、好きだったんだと思う。でも妹が二人いたから「長女としてしっかりしなきゃ」って心のどこかでいつも考えていた。両親はあまり「姉妹階級」ということを意識させたくなかったみたいで、私はいつも名前で呼ばれていた。「お姉ちゃん」じゃなくて、「●●ちゃん」って妹から呼ばれるの。そのほうが姉妹は仲良く見えるって両親は考えたのかもしれない。
でも名前で呼ばれるたびに、逆に私はプレッシャーを感じていた。表向き、「私はおねえちゃんなんだから!」という態度は取れない。けれども「姉」としての責任感とプレッシャーはしっかり背負わされる。喧嘩しても、大抵私が悪者にされる。怒られて、叩かれて、怒鳴られて。多分、妹たちは父に殴られたことないんじゃないかな。代わりに私が殴られてるから。
それなのに、姉妹は平等だと両親は言い続けた。まぁ、言ってたの主に母なんだけどさ。

「一番早く生まれたから」というプレッシャーはあるのに、
「一番早く生まれたから」という特権は何故ないのだろう。

ずっと、ずっとそう思っていた。だから妹たちが嫌いだった。特に年が近い次女は、人がプレッシャー感じて生きているのも知らないで、文句ばっかり言うから大嫌いだった。
今は正直「どーでもいい」。妹たちが何思ってようが、どこで生きていようが、何していようが、「どうでもいい」。

「血が繋がってるって言ったって、どうせあかの他人じゃん」

小学校高学年か、中学校に入った頃、母にそういったら酷く怒られたっけ。まぁ、今でも「どうせあかの他人じゃん」って思ってるけどさ。
だから、「家族だから許してもらおう」とか「家族だから甘えよう」とか、そういった考えは一切ない。家族だからって助け合うのが当然だとは私は思っていないし、助けてもらうのが当たり前だとも思わない。
ただ、私をココまで育てるのにかかった費用や時間は、これからちゃんと返していこうと思う。give&takeの精神があるからこそ、「きっちり返そう」と思う。
こういうこと言うと、次女は私に「貴方は冷たいね」的なことを言う。
だけど、私から言わせて貰えば、君が甘いのだよ。

三姉妹なんていうと、よく次女がしっかり者なんていうけれど、うちは全然そうじゃない。一見しっかりしてそうだけど、よく失敗して凹んでたりする。要領がよくないのだ。あぁ、昔はよくそれで泣いてたっけ。漢字テストの前日に、「漢字テストの範囲がおわらないよぉおお」ってビービー泣いてた。泣くくらいなら手を動かしてやっちゃえばいいのに、って呆れてみてたっけ。あと、隣の家のいじめっこに再三いじめられてるというのに、「今度はいじめないかもしれない」と変な期待と思い込みをして、毎回泣かされて帰ってくる。
喧嘩するとすぐ親に泣きつくクセがあるのも次女で、私はそのたびに怒られていた。
今はもういじめられるという年ではないけれど、変な男にひっかからないように祈るのみです。
や、ひっかけてもいいけど、私のところに面倒事持ち込んできたら、十一(といち)で利子つけるつもり。世の中はそんなに甘くないのだ(・ω・@

そういう意味で、私と三女は非常にタイプが似ている。家族に対して割とドライ。昔はあんなに甘えん坊だったのに、アホでドジで泣き虫な次女がいたからしっかりせざるを得なかったらしい(笑)。

嗚呼、随分話がそれちゃった。そう、特権の話。
小さい頃は長女の特権なんて何もないと思ってたけど、今思えば、「勉強に関しては、両親が私のやることをいつもみていた」というのはあったのだと思う。受験の時も、中高大入学の時も、「初めて」だから親はちゃんと見ていた。まぁ、特権なんてそのくらいだよね。服も従兄弟からお古が回ってきてたしさ。


こういう家族観をもって育ってきた私は、「人の優しさ」を見分けるのが得意になった。「人の優しさ」が感じられない時、「これはきっと●●さんの優しさなんだな」とか自分を納得させてた。そうじゃなきゃ、やってられなかった。
だから私は優しさにはとても敏感。同時に皮肉とジョークと悪口にも敏感。


先日、「私は優しくないから、兎は私の事を嫌いでしょう」と言ってきた人がいた。
でも私はその人の優しさを日々感じていたので、「ぇ、優しいじゃん」と即答した。
そしたら「コンチキショウ、コンチキショウ」と連呼されたけど、あれは照れ隠しなんだなってちゃんとわかった。
人の優しさに気が付くのは容易ではない。
だから、「私は優しくないから」と言ってきた人は、ずっと優しさに気が付いてもらえなかったんだろうな。


少しでも多く、世の中の人が、他人の優しさや気遣いに気が付いてくれればいいとおもう。勿論、見える優しさではなく、見えない優しさに。

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火曜日、友人が姫路土産をくれました。白鷺天舞というお菓子らしいです。写真にはとりませんでしたが、一緒に姫山というお菓子もいただきました。いい感じに下に敷いてあるのは、私が破かないように必死こいて剥がした包装紙です。この撮影の後、私の単語帳のブックカバーへと変化しました。
実はこのお土産は、先日一緒にヅカへいったお母様への献上品だったらしいのです。ところが当日もっていくのを見事に忘れ、私へのお土産になった…という経緯をたどっております。ヅカのお土産もらっても嬉しいけど、各地のお菓子食べるのも大好きだから個人的にはオールオッケー!ご馳走様!w というわけで、学食で卒論の添削をしながら二人でもしゃもしゃいただきました。和菓子はやっぱり美味しいね。ちなみに白鷺天舞は葛団子だか水団子だかそんな感じのお菓子でした。緑の包装紙のほうは梅味でしたね。姫山はピンクのぎゅうひに黄色い餡が入ってて、もっちりあま~!でした。姫路に行った際は是非食べてみてください。

さて、彼女からヅカ土産も貰ってしまいました。それがコチラ。


(me゜д゜)(゜∀゜her)
 
このポスターを見たとき、彼女は思わず「まじでぇ!?」と大声で言ってしまったそうな。そりゃ言いたくなるわ(笑)。私にくれるつもりで、このビラを一枚多く取ってきてくれたので、ありがたく記念にいただくことにしました。

そんな矢先、久しぶりにヤフオクみたら可愛いバーバリーのハンドバッグ見つけてしまい、柄にもなく落札まで粘ってしまいました。バーバリーにしてはお安く買えたので嬉しいです。
私はブランドとかめっきり知識がない人間なので、オーク中に軽くバーバリーについて調べてみたのですが、日本でもかなりのラインを展開しているみたいですね。数年前は中国に工場を移したとか、日本への展開ラインもかなりあるとかで、ブランド性が若干低迷しているようですね。まぁ、確かにブランドというよりはカジュアルというイメージが強いです。カジュアル思考な私としてはちょうどいいんだけどね(笑)


ただ、ヅカにしてもバーバリーにしても、品を損なわない経営戦略を取ってほしいなぁと感じました。別に『メイちゃんの執事』が悪いとかそういうことじゃないよ。過去にも漫画を題材にした『ベルサイユの薔薇』をやって、ヅカの十八番になった。だけど、ベル薔薇とメイちゃんは同列には扱えないよねぇって思うのよ。その歴史とストーリの重さがまず違う。残念ながら、世界に残る名作漫画!という評価を『メイちゃんの執事』にはつけられない。あれはどこにでもある乙女ゲー的な少女漫画でしかない。宝塚歌劇団というブランドを背負って公演をするのだから、もう少しそのあたりを考えてほしかった。はっきり言って、この題材をヅカで扱うなんて品がない。私はそう思ってしまう。
バーバリーの経営戦略も、戦略上は間違っていない。確かに低コストで出来る中国へ工場を移転するのは、どこの企業でもすることだ。だけどそこには絶対的な品質の低下が出てくると思う。まぁ、もう移転しちゃってるから今更言っても仕方ないんだけどさ。

ブランドとしての品格が低迷するということは、それだけ顧客へのサービスが低下することになりかねない。お金儲けも大事だけれど、やはりブランドとしてのプライドは金の前にひれ伏さないでほしい。

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一週間くらい前から続いている風邪がいまだ治らず、なおかつ昨日のバイトで声を無理して出した所為で完璧に声がしゃがれてしまった。おまけにおさまったと思った鼻水のほうもぶりかえしてきたので、仕方なく病院へ行くことに。京都にきてから病気らしい病気をしていなかったのでネットで調べて智恵光院出水の病院にいってきました。
最初、病院に電話をいれて予約が必要なのか聞いてみたのですが、まぁ声がでないでない。がんばって何とかしゃべるのですが、自分の口から発せられるしゃがれた声は「誰だこの声」と自分でも思う始末(苦笑)。鼻水が始終でるのは我慢できても、この声だけは我慢できない!w

予約制度を導入していない病院だったので結構混んでいました。まぁ、予想はしていたので持っていった本を読みながら時間をつぶす私。結果、1時間くらい待って診てもらったのですが、診察時間は約3分…。いや、ただの風邪だし薬出すだけだってのもわかってるんだけど、なんかちょっと切なくなりました(・ω・`


4種類のお薬(錠剤3種にシロップ1種)をもらったので、それもってそのままおもひで焼きへ直行。学校行く前にご飯食べによるにはちょうどいい場所にあるんですよね。


 
画像が少々乱れておりますが、定位置からお店の奥を撮ってみました。一番左側が私の定位置です。写真左の入れ物はおばちゃんが使うソース入れですね。のれんには「おもひで」とかかれております。常連になるとカレンダーに用事が書かれたりします。(例:「●●君、来月の1日から中国に旅行いくらしいで~」とおばちゃんが言うと、その予定がしっかりカレンダーに書き込まれてたりします)他にも常連になると様々なオプションが発生します。箸が割り箸じゃなくなったり、暖かいお茶を淹れてくれたりと、まるで我が家のように暖かい場所となります。ちなみに本日は散らし寿司と千枚付けと抹茶をご馳走になってきました。先日母が京都に来る際には「うなぎパイか何かをおばちゃんの所用に買ってきて」と頼んだけど、それ以上に食べさせてもらってます。母が京都から帰るとき、「卒業までにおばちゃんの家の住所をちゃんと聞いておきなさい。そうじゃないと今後色々お返しができないでしょ」といわれました。はい、そうですね、そのとおりです(・ω・@

まぁ、こんな感じのおもひで焼きでご飯ゆっくり食べてお店番少し手伝っていたわけですが、「やっぱり喋れないのは痛いなぁ」と痛感しました。まずこのしゃがれた声が嫌で嫌で仕方ない。別に自分の声が美声だとか思ってるわけじゃないけど、しゃがれた声は聞き取りづらいし美しくない!また、私は基本的によく喋る人間なので、喋る=存在意義になってるわけですよ。今後一切口がきけなくなったら、人間変わっちゃうと思う。例え口がきけなくても手があれば(筆談)で言葉を伝えることはできるから多少耐えられるだろうけどね。
いくらお金があったって、いくら愛されていたって、他者に自分の考えを伝えることができなければ意味がない。よく「お金がほしい」という人がいる。でもね、いくらお金がほしいからって自分の手足や臓器をうってしまっては、幸せになれないのではないだろうか。これは極端な例だけどもね。

 
手と口と目は私の人生上必須なものだ。本日はそんなことを考えた日だった。

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もはや休日にイベントのお仕事しにいくのが恒例になりつつある兎です。こんばんわ。
本日はみなさん御馴染みのとあるホームセンターでイベントをやってまいりました。通常なら男性がやるポジションを任され、しかも新人さんまで投げられたのでドキドキハラハラな一日でした。で、「とにかく今日も一日頑張るぞー」と声をはって仕事に取り組んだ結果、突如現れたホームセンターの職員さんに「あんた派遣?それとも正社員?」と聞かれる始末。正直に派遣だというと「声がでかくて元気いいから正社員かと思ったわー」と笑われました(・ω・` 嬉しいんだか悲しんだか微妙な心境です。


私が参加しているイベントの進行基本としては、子どもが居たら飴すくいをさせてあげて、上手くキャッチできそうな人がきたら説明する、といった感じ。本日やらせていただいたホームセンターのお客さんはどなたも感じがよく、いい気持ちでお仕事を終えることが出来ました。
なかでも「飴すくいをしたがる子供に対してのお母さんの反応」がとてもよかった。
よくこういったイベントで飴を配っていると、「どうせ何か書かなきゃもらえないとか、飴をもらった後でなんか書けとか言うんでしょ!」と疑いの目を向けるお母さんとお会いします。なので子供がいくら飴すくいしたいーって言っても無理矢理子供を引っ張っていっちゃうんですよ。そういった場合、こちらが「本当に無料ですよ?」とすすめても大半は「別にいいんで」とつっけんどんに返されてしまいます。そういう時の子供を見ていると、ひどく不憫に感じてしまう。そして同時に「人の好意を素直に受け取れない子供」がこのようにして育てられるのではないかと考えてしまった。
その点、本日お会いしたお母様方は、子供が飴すくいしたいといえば無理に止めることなく、そのあとちゃんと子供にお礼を言わせる方が多かった。そしてちゃんとお礼を言える子が多かった。これはね、子供の人格形成においてとてもいい傾向だと思うよ。私は心理学が専門ではないけど、純粋に他者の好意を受け取り、感謝できる人というのは人間性を豊かにするとおもう。他者を否定しないから沢山の価値観がもてるんだよね。他者を否定しないで素直に生きているほうが、やっぱり精神衛生はいいんじゃないのかな。


子供を守るのが大人の仕事ではあるけれど、子が可愛いがために生まれる猜疑心はTPOをわきまえたほうが子供の成長にはいいのかもしれない。ここ数週間のバイトを通してそう学んだ。

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