忍者ブログ
いろんな事にくじけそうになりながら、毎日一生懸命生きてる小さな兎のヒトリゴト。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


自転車の鍵は毎回ほぼ無意識にかけている。私の中で自転車を降りる一連の動作には鍵をかけるまでが含まれているのです。
ここ数日、自転車の鍵をかけた時「嗚呼、これでまた一つ終わってしまったなぁ」とよく感じる。寝る時やご飯を食べている時ではない。自転車の鍵をかけたとき、ただその一瞬、卒論提出が終わった事を実感する。


幼い頃から、私にとって自転車は唯一自由に使う事が許される足だった。図書館に行くときも、塾に行くときも、家出をしたときも、常に自転車が隣にいた。だから大学に入ってからもバイクの免許をとる事もなく、自転車を愛用していた。
私は自動車やバイクが好きじゃない。少々語弊があるので言っておくが、別に自転車やバイクそのものは嫌いじゃない。自転車やバイクを運転する事が嫌いなのだ。乗る事は楽チンだからいいのだけど、自分で運転したいとは思えない。それはきっと自分の力で、自分の足で、動かす事が出来ないからだろう。


楽をするということは自分自身を駄目にする事だ。もしかすると進んで楽をしたがるのは、駄目人間だけなのかもしれない。今回東京都で成立したくだらないことこの上ない条例も、ちゃんと自分の子供にモラルを教えられない馬鹿な保護者が騒いだのが原因だろう。自分じゃできないから、全て周囲の環境が悪いと言う。自ら「自分は馬鹿な保護者です」アピールしているのだから、その阿呆くささ加減には失笑してしまう。まぁ、この条例に関しては長くなるので、また後日書くことにします。
とにかく、楽をするのは良くないということだ。だから私は自動車、バイク、電子辞書を使う事が大嫌いだ。自分の足や頭を使わないのは楽だけど、脳みそが溶けるだけだよ。


卒論提出が終わった。この事実に大学4回生はほっとしているだろう。気が緩んでるだろう。数日はそれでもいいかもしれない。でも卒論提出は通過点だ。ゴールじゃない。私達の目の前には長い長い道がのびている。


私は十分に休憩をした。さて、そろそろ再び自転車で走りだすか。やるべき事、やりたい事、目の前の道にはそれらが沢山落ちている。

拍手

PR

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック