忍者ブログ
いろんな事にくじけそうになりながら、毎日一生懸命生きてる小さな兎のヒトリゴト。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


もうすっかり食べ物がおいしい季節になりました。まさに天高く馬肥ゆる秋ですね。
こんにちは。体重計を若干気にしつつご飯を食べている兎です。学校も始まったから学食の御飯を食べに行く機会も増え、ほんのりですが肥えつつあります。むぅん、自重しなければ。特にクレープとかクレープとかクレープとk(ry


さて、今回久しぶりの参加となるトラックバック企画の御題はコチラ:「何肉が一番好き?」
生まれてこの方食べたことのないお肉というのも多いので一概には言えないのですが、私は鶏肉が大好きですね。特にモモ肉。胸肉はぱさぱさしててあまりすきくないのです。飲み屋にいけば必ず鳥のから揚げ注文しますし、下宿先でもモモ肉を使った料理はよくします。調理しやすいし、健康にもいいし、安いしで、モモ肉様様です(・ω・@ 健康に一番いいのは豚肉だと言われますが、豚は若干料理しづらいので私の中では二番手。豚肉の臭みも(本当に若干だけど)あまり好きじゃないので、癖のない鳥が私の中ではベストワン。
また、高級食材ともいわれる牛肉も滅多に食べませんし料理しません。牛肉って脂肪だけで構成されているような気がして、健康を考えるとあまり食べたいとは思えないのです。おまけに高いし・3・
結局私は超庶民で、超庶民どおりの味覚をしているということですね。


ちなみに我が家の肉じゃがには豚肉が使用されています。本来肉じゃがって牛肉とジャガイモで作られるものらしいのですが、庶民代表の我が家は豚肉とジャガイモで作ります。ちなみに人参も投下されます。知らなかったけど、カレーや肉じゃがに人参を入れないで作るお家って結構あるんですね。
これは以前親友がカレーを作ってくれたときの話なのですが、彼は普段人参を入れない代わりにナスをいれているとか。私が「えー。人参も入れてよー」とわがままを言った為、その時は人参を入れてくれましたが、普段は入れないそうです。だけどナスはばっちり投入されていてちょっと笑えました。これが冬になったらどうなるのだろうか(笑)


少し話題からずれてしまうが、馬とか猪とか兎とかのお肉もそのうち食べてみたいなと思う。あとイルカと鯨も!w 後者2つは昔はよく学校給食ででたらしいけど、私たちの世代になるともうそれもなかったんだよね。興味本位で鶏肉に似ていると噂の蛙肉も食べてみたいとは思ってます。
はぁ~ぁ。誰か私にお肉を料理して持ってきて!w

拍手

PR

今回は単なる報告日記ですた。


10月1日。
静岡まで内定式のためにお出かけしてきました。
内定式では社長が5分で終わる挨拶を15分に引き伸ばしたり、昔お世話になった先生が人事として司会をしていたり、お昼のお弁当もらえたり。100人近くの学生がいて、ちょっと色々と疲れましたw
だけど、内定式にでて一番驚いたのは、高校時代の同級生が1人いたということ。彼とは1年時と3年時の時にクラスが一緒でした。そして時々このブログにも名前が現れるボーカロイドの使い手。そぅ、ぺぺろん君です・ω・ いや、内定式でまさかの再開とは思わなかった。一瞬他人の空似かとおもったけど、胸にある名札が真実を語っておりました。どうやら向こうも「なんか知ってる顔がいるし!w」と思ったらしいです。ちなみに彼も神奈川でのエリア勤務なので、来年からは一緒に仕事をする機会があるかもしれません。なんたる偶然。ぺぺろん君はいい具合に大人っぽくなってたので、大学でいいほうに化けたんだなと感じました。あ、ぺぺろん君ファンの友人のために、彼のスーツ姿を激写してくればよかった!w
学生時代、私はとりたてて彼と凄く仲がよかったわけでもないのですが(私より親友とのほうが仲よかったしw)、知人がいるっていうだけでなんだかちょっと心強いというか、わくわくします。え?私って単純ですかね、やっぱり。


10月2日。
1日の夜は草薙の友人宅で一泊し、2人でひたすらごろごろしながら夕方にお芝居みにいきました。本当は、お家ごろごろで満足しきってたのでそのまま京都に帰ってもよかったんですがww まぁ、友人が一人では観に行くの嫌だというし、私もチケかっちゃったしで、頑張って移動。演目としては昔同志社でやってたのをみたことがあったので、実は話のスジは大方知ってました。まぁ、若干気になる部分もあったりしたのだけど、大道具がステキだったので、全てをカバーしてたように思えます。あの手の芝居も参加してみたぃなぁ。
と、思いつつ、芝居が終わったのが8時15分ぐらい。内定式で提出する書類に恥ずかしい事してくれた父とは会いたくないので、そのまま無理矢理京都に帰還。まったく。提出書類に印鑑3回も押さないでほしいわよねっ!!w 1回でいいのに、なんで3回も押すのよっ!w はずかしいったらありゃしない。ちなみに知り合いにこのことを話したら、「捨て印かよっ!」って思いっきり突っ込まれました。うん、私もそう思います(・ω・`
ぎりぎり最後の新幹線に飛び乗ったので、なんとか0時前にはお家につけました(・ω・@ 明日はお土産のうなぎパイもって、おもひで焼きのおばちゃんの所にでもいこうかとおもいます。就職活動とかのことで結構心配してもらったしね。やっぱりちゃんと一度お礼はしておきたいんだ。


よし、いい加減ねるかw

拍手


先日mixiの参加コミュニティの人から共同制作企画をやるから可能なら参加してくださいというメールをいただいた。そのコミュニティは小説執筆コミュのようなもので、最近ご無沙汰していたのだが、その短編小説企画がなかなかに面白そうなものだったので、1時間くらいでさくっと書き上げて参加してきました。


が。
書いたから一応とおもって作品提出はしましたが、書きあがるまでが大変でした。一言で言うと、書いていてダメージ受けまくり。出来上がった時はHP0.0000…(中略)1くらいの気分でした。小説なんて自分の想像力、いわば妄想力をフル稼働して創作するもののはずなのに、何で私こんなにダメージ受けてるんだろうと疑問を抱きつつ、それでも最後まで書き上げる私は、やはりMなのでしょう。いやね、これ皆に言われるんだよ。「アンタMでしょ」って。Sじゃない人間=Mという定義が成り立つならば、まぁ、私はMという事になるわけで…w なので毎回「そうだよMだよ、悪いかコンチキショー」って言ってます。
それはさておき。何で今回こんなにダメージ食らったのかのかという自己反省を致しますと、恐らくそれは自分の願望というか夢がベースとなった小説を書いてしまったというのが原因なのかな。「叶うはずないのにな」と頭ではわかってるのに、小説上では叶えてあげたくなっちゃうんですね(笑)。だから自分で自分の首を絞めることになるんです。嗚呼、Mの証ですって?そうですか、そうでしょーとも。もうどうとでも好きに言って下さい。


もうすぐ卒論も書かなきゃいけないわけだけど、私にとって「文章を書く」ということは呼吸をするくらい大事であり、自然な行為である。小説を書くことも、詩を書くことも、「やらなきゃ」とおもって書くものではなく、なんとなく書きたくなって気分が乗って自然と出てくることが多い。つまり私の感情表現手段のなかでかなり大きな割合を占めているともいえるのだ。又、私は文章というものを一種の芸術だと捉えている部分もあり、語呂や語感、文字の並びの美しさを非常に重視する傾向がある。特に年賀状の宛名書きなんて絶対に自筆。これはもう譲れない。確かにPC印刷すれば楽なのだろうケド、人の書いた文字には温かみや人間性もにじみ出るし、なにより手書き文字はアートである。同じ理由でメールよりかは手紙を書くほうが好き。特に人に伝えたいことで凄く大事なことは手書きにすることが多いのが私の特徴である。


感情を言葉にあてはめざるを得ないのが「書く」事の最難関である。音楽なら旋律で微妙な感情の揺れを表現することもできる。芝居なら役者の表情や行動で表現できる。文章は周囲の環境で主人公の心情を描写することが可能とはいえ、ある意味非常に特殊な感情表現であるといわざるを得ない。
主人公が悲しい気持ちになってる場合、大概雨が降る。
天気は小説などにおいて心情を表す一種のツールとして使われるが、実際現実にこういったことが起こったらたまったものではない。誰かが悲しい気持ちになるたんびに雨が降るなら、全国各地はきっと毎日雨だろう。
じゃあ、かといって「嬉しい」だの「悲しい」だのそういった表現を使うと、感情が軽いものとなってしまう。大体人は嬉しくても悲しくても、そんなことを口に出して主張することは少ないのだ。だから心情描写の上手い作家さんは凄い。


最近こういったものがおぼろげに見えてきた所為もあり、逆に何もかけなくなった。この前書いた短編は、おそらく1年ぶりぐらいの執筆活動だったのではないかと思えてしまう。
こういったブログは日々考えていることや近状報告をするだけなので、あまりエネルギーを消費しない。だからこそこんなに長期的に続けていられるわけだけど、小説を書くとなるとそうもいかない。徹底的に構成を練り上げ、言葉を練り上げ、登場人物を練り上げ、文字の美しさを練り上げる。これと同じくらいエネルギーを要するのが、手紙である。
実は最近、ある人物に手紙を書いた。結局その手紙を出すことはなかったのだけど、封筒や便箋を選ぶところから時間がかかり、やっと希望通りのものを手に入れたら、次は文章構成と表現方法で悩む悩む悩む。次はどのペンを使って書くのが、この便箋と内容にとって最もふさわしいか、文字の大きさ、漢字とひらがなの使い分け等々。結局3枚の便箋を書くのに要した時間は計5時間くらいだったと思う。手書き文字には温かみや人間性もにじみ出ると思っている私だからこそココまで時間を割くわけだ。暇人だなと、思う方もいらっしゃるかもしれないが、受け取った人の気持ちを考えると、やはり手間隙をかけたくなる。まぁ、あと手書き文字はアートだという若干のプライドも影響しているけどね(笑)。
だから逆に私は手紙をもらうのが凄く好きである。相手が自分のためにどれだけ手間隙をかけてくれたか、つまりどれだけ大切に考えてくれているかが(ある程度ではあるが)解るし、相手のセンスも見ることが可能だからである。これだけ文明化が進むと、手書きで手紙を書くことが苦手という方も多くなってくるとおもう。メンドクサイ。自分の字が綺麗じゃない。様々な理由はあるだろう。しかし、私は一度でいいから手紙を書いてほしいと思う。封筒や便箋選びから相手のことを考えて、丁寧に文字を綴れば、たとえ内容が陳腐なものだったとしても相手は非常に温かい気持ちになることだろう。逆に、自分がもしそういった手紙をうけとったとしても、優しい気持ちになることが出来ると思う。

拍手


本日は非常によい洗濯物日和でした(・ω・@
でも西向きベランダの私の部屋は西日攻撃が激しいです。なんとか洗濯物を窓際にかけてガードしなければっ!w 家の掃除洗濯も終わってしまい、そろそろ卒論の資料まとめをやらざるをえなくなってきた兎です。こんにちは。現実逃避したくなるときってナントナク家事とかやりたくなるよね。無性に部屋の掃除とかしたくなる。


はてさて。今回のトラックバック企画の御題はコチラ:「タバコ値上げに賛成?反対?」
まぁ、ぶっちゃけ私はタバコ吸わないんだけれども(笑)。ただ、私としては反対かな。
何のためにタバコ値上げるのさ、っていうのがそもそも疑問。
国民の健康とかなんとかといっているけれど、んじゃタバコすぱすぱふかしている政治家の先生方も禁煙するわけ?? 確かに学生の喫煙率は減るかもしれないけど、今現在の喫煙者がそうそうタバコをやめるとは思えない。結局税収が苦しいからタバコ税上げようとしてるんじゃないの?って私なんかは思っちゃいます。だって未成年の喫煙率減らしたいだけならもっと他に方法あるとおもうもん。
このタバコ税UPには、「嗜好品は金持ちだけが得られるのだ」という考えが見え隠れしているような気がして、非常に嫌悪感を覚える。確かに私はタバコを吸わないし、タバコの煙も嫌いだけれど、分煙を徹底すればいいだけの話でしょ。国民の健康を守るとか、いかにも正義ぶって言われるのが癪です。以前妹とタバコ値上げについて話していたのですが、彼女はタバコ値上げに賛成らしく、ひどく非難された覚えがあります。「財政が苦しいからタバコ税上げます。国民の皆すまん!」ぐらいのことを国が言えば私も賛成するんだけどね。完全に物事の本質が棚上げにされているような気がするので、私は反対してるのです(・ω・@ 


こんだけタバコが値上がったら、喫煙者が減るだろうとかいうけど、実際は減らないと思う。減っても本当に少しだとおもう。そんなことは政治家もわかってるんだから、「タバコ税UP→喫煙者が減る!→国民が健康に!」みたいな幻想に惑わされちゃおしまいだよね。そもそもタバコ税が上がったら、国会議員は全員禁煙するのかと、私は言ってみたいです。
そのうちまた財政が厳しくなったら、今度は酒税とかが大幅引き上げとかになりそうな気がする。お酒ってガンの原因にもなるらしいから、肺がん死亡の原因となるタバコだけを大幅値上げするとはどうしても思えないんだよね。既にちびりちびりと酒税も引き上げられてはきているけれど、ここいらでどかーんと値上げられたら嫌だなぁ…。缶チューハイ1本500円とか言われたら、日本国民辞めたくなると思う。 まぁ、お酒は料理にもよく使用されるから、安易に大幅値上げはできないのだろうけどさ。

拍手


消したと思ったら消してなかった。そんな初歩的ミスを犯した兎です。こんばんは。
ぇ、なんのことかわからないって方はそのままスルーしてください。目撃してしまった数名の方は笑って忘れてください。
そいえば、本日の夕方国勢調査の方が来たのですが、チャイムを一度ならしたあと、しつこくドアノブをガチャガチャやるので怖くて追い返してしまいました。お願いだからチャイム連打するくらいにとどめてください。ドアノブガチャガチャはマジでこわぃです。


はてさて、今回のトラックバック企画の御題はこちら:「何歳まで”女子””男子”なのか」
結構前の話題っぽいですが、非常に興味があるので今回はこれでお送りします。
つまりこれってどこまでを子供として捉えるかってことなのかな。女子=女の子、男子=男の子、だもんね。


私の中には、女の人・女の子・男の人・男の子、という分類が存在します。自分以下だと女の子・男の子と認知しているという傾向がややありますが、同世代のなかにもたまーに女の人・男の人と認知する人はいます。その人達に共通する特徴は、落ち着きと余裕がある、ということ。落ち着きっていうのは表情と雰囲気かな。大人しいというのは当てはまらない気がする。まぁ、あとは単純に背が高かったり身だしなみがしっかりとしてたりといったところかな。なのでたとえ年上でも、おっちょこちょいで余裕のない(ある意味色々と)忙しい人を見ると、女の人・男の人とは思えない。「可愛いなぁ~(*´∇`*)」って思って、そこで終わり。特に女の子は愛でる対象にはなっても、尊敬する対象にはならないんですよね。
裏を返せば、尊敬することもなく対等の立場で競争できるライバルや、互いに物事を高めあっていく同志なんかの場合は、女の人・男の人はダメなんです。私自身、女の子だから大人と張り合うなんて絶対無理とか思っちゃう。きっとココには私がまだ学生だということが大きく関係していると、今なんとなく感じました。私はまだある程度親の保護下にある学生であって、自分だけで勝負して自立しているわけではない。女として、人として、まだ生き方を確立していない。一人でもがいて人生を送っていない。だから、まだ私は自分の事を「女の子」だと形容するのだと思う。
それはきっと私だけじゃなくて全ての学生においてある程度言えること。だから大学で仲良くなった友人達が、数年後、苦しんでもがいて頑張って生きているのを聞いて、きっと皆大人になったのだなと感じるのだと思う。


数年後、私も含め皆がどんな大人になっているのか、怖くもあり楽しみでもある。

拍手