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いろんな事にくじけそうになりながら、毎日一生懸命生きてる小さな兎のヒトリゴト。
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先日mixiの参加コミュニティの人から共同制作企画をやるから可能なら参加してくださいというメールをいただいた。そのコミュニティは小説執筆コミュのようなもので、最近ご無沙汰していたのだが、その短編小説企画がなかなかに面白そうなものだったので、1時間くらいでさくっと書き上げて参加してきました。


が。
書いたから一応とおもって作品提出はしましたが、書きあがるまでが大変でした。一言で言うと、書いていてダメージ受けまくり。出来上がった時はHP0.0000…(中略)1くらいの気分でした。小説なんて自分の想像力、いわば妄想力をフル稼働して創作するもののはずなのに、何で私こんなにダメージ受けてるんだろうと疑問を抱きつつ、それでも最後まで書き上げる私は、やはりMなのでしょう。いやね、これ皆に言われるんだよ。「アンタMでしょ」って。Sじゃない人間=Mという定義が成り立つならば、まぁ、私はMという事になるわけで…w なので毎回「そうだよMだよ、悪いかコンチキショー」って言ってます。
それはさておき。何で今回こんなにダメージ食らったのかのかという自己反省を致しますと、恐らくそれは自分の願望というか夢がベースとなった小説を書いてしまったというのが原因なのかな。「叶うはずないのにな」と頭ではわかってるのに、小説上では叶えてあげたくなっちゃうんですね(笑)。だから自分で自分の首を絞めることになるんです。嗚呼、Mの証ですって?そうですか、そうでしょーとも。もうどうとでも好きに言って下さい。


もうすぐ卒論も書かなきゃいけないわけだけど、私にとって「文章を書く」ということは呼吸をするくらい大事であり、自然な行為である。小説を書くことも、詩を書くことも、「やらなきゃ」とおもって書くものではなく、なんとなく書きたくなって気分が乗って自然と出てくることが多い。つまり私の感情表現手段のなかでかなり大きな割合を占めているともいえるのだ。又、私は文章というものを一種の芸術だと捉えている部分もあり、語呂や語感、文字の並びの美しさを非常に重視する傾向がある。特に年賀状の宛名書きなんて絶対に自筆。これはもう譲れない。確かにPC印刷すれば楽なのだろうケド、人の書いた文字には温かみや人間性もにじみ出るし、なにより手書き文字はアートである。同じ理由でメールよりかは手紙を書くほうが好き。特に人に伝えたいことで凄く大事なことは手書きにすることが多いのが私の特徴である。


感情を言葉にあてはめざるを得ないのが「書く」事の最難関である。音楽なら旋律で微妙な感情の揺れを表現することもできる。芝居なら役者の表情や行動で表現できる。文章は周囲の環境で主人公の心情を描写することが可能とはいえ、ある意味非常に特殊な感情表現であるといわざるを得ない。
主人公が悲しい気持ちになってる場合、大概雨が降る。
天気は小説などにおいて心情を表す一種のツールとして使われるが、実際現実にこういったことが起こったらたまったものではない。誰かが悲しい気持ちになるたんびに雨が降るなら、全国各地はきっと毎日雨だろう。
じゃあ、かといって「嬉しい」だの「悲しい」だのそういった表現を使うと、感情が軽いものとなってしまう。大体人は嬉しくても悲しくても、そんなことを口に出して主張することは少ないのだ。だから心情描写の上手い作家さんは凄い。


最近こういったものがおぼろげに見えてきた所為もあり、逆に何もかけなくなった。この前書いた短編は、おそらく1年ぶりぐらいの執筆活動だったのではないかと思えてしまう。
こういったブログは日々考えていることや近状報告をするだけなので、あまりエネルギーを消費しない。だからこそこんなに長期的に続けていられるわけだけど、小説を書くとなるとそうもいかない。徹底的に構成を練り上げ、言葉を練り上げ、登場人物を練り上げ、文字の美しさを練り上げる。これと同じくらいエネルギーを要するのが、手紙である。
実は最近、ある人物に手紙を書いた。結局その手紙を出すことはなかったのだけど、封筒や便箋を選ぶところから時間がかかり、やっと希望通りのものを手に入れたら、次は文章構成と表現方法で悩む悩む悩む。次はどのペンを使って書くのが、この便箋と内容にとって最もふさわしいか、文字の大きさ、漢字とひらがなの使い分け等々。結局3枚の便箋を書くのに要した時間は計5時間くらいだったと思う。手書き文字には温かみや人間性もにじみ出ると思っている私だからこそココまで時間を割くわけだ。暇人だなと、思う方もいらっしゃるかもしれないが、受け取った人の気持ちを考えると、やはり手間隙をかけたくなる。まぁ、あと手書き文字はアートだという若干のプライドも影響しているけどね(笑)。
だから逆に私は手紙をもらうのが凄く好きである。相手が自分のためにどれだけ手間隙をかけてくれたか、つまりどれだけ大切に考えてくれているかが(ある程度ではあるが)解るし、相手のセンスも見ることが可能だからである。これだけ文明化が進むと、手書きで手紙を書くことが苦手という方も多くなってくるとおもう。メンドクサイ。自分の字が綺麗じゃない。様々な理由はあるだろう。しかし、私は一度でいいから手紙を書いてほしいと思う。封筒や便箋選びから相手のことを考えて、丁寧に文字を綴れば、たとえ内容が陳腐なものだったとしても相手は非常に温かい気持ちになることだろう。逆に、自分がもしそういった手紙をうけとったとしても、優しい気持ちになることが出来ると思う。

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