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本日のゼミ中、しまりのある顔とはどんな顔なのだろうかと、考える機会がありました。
というのも斜向かいに座っている男子の顔が滅茶苦茶しまりのない顔だったのです。
彼は本日の発表者だったのだが、先生に何を質問されても「はぁ…、はぁ…」としか言わない。いい加減イラっときて彼の顔をみたら、なんともまぁしまりのない顔をしていたというわけである。苛立ちを通り越して唖然とし、次は疑問が沸いてきた。なんで私は彼の顔を見て「しまりのない顔」と判断したのだろうか。
目は若干たれ目であるものの、常人レベル。うぅむ、これはどうやら原因ではないらしい。顔色・呼吸共に正常。とりわけ(*´д`*)ハァハァ しているわけではなく、これも普通。んじゃ何が原因なんだ、とレジュメを使って彼の顔の一部を隠したり覗かせたりと色々実験。嗚呼、お願いだから発表中くらいちゃんと顔を上げていてくれ(笑)。
彼がこちらの視線に気が付いてもばれないように、あくまでひっそりこっそりナチュラルにレジュメを使って観察していく私。っていうか、君。君は私の視線に気が付く前に、先生からの質問に真面目に答えなさいよ。さっき私が質問したときも沈黙で逃げようとしたジャマイカ。そこは沈黙するとこじゃなくて反論するとこでしょう!w←レジュメ内容の不確か性を指摘した。
とまぁ、観察すること約3分。ファッション・髪型・元来の顔のつくり・イケメンかそうじゃないか、などなど色々原因を考えながら見ていたんですが、最終的に行き着いた結論は口元。
そぅ、彼の口元がゆるみっぱなしだったんです。
ポカーンと大口あけてるわけじゃないんですが、口の両端が力なく垂れ下がっている。更にそのせいで若干口が開いてしまっています。(´〰`) ←あえて書くならこんなかんじ。これがもう少しぴしっと口元を引き締めて(´ー`)こういう感じになれば、まだ見栄えもするというもの。嗚呼、そういえば遠い昔、妹がぽけーーっとよく口を開いていて「しまりのない顔をするんじゃありません!w」って母親に言われてたっけw つまり格好よくきりっとした印象を振りまきたい時は、口元をきゅっと結んでるほうがいいって事ですね。
よくよく考えてみると、口というのは相手とコミュニケーションをとるために必須であり、食事をするためにも必須である。そして、「食事の好みやマナーが相手と会わないとき、自分は相手に異性としての魅力を感じていない。というか一緒に食事をしたいと思えない人とは付き合っても上手くいかない」というようなことを聞いたことがある。これについて私は大いに賛同する。汚く食べ散らかす人や口に物を入れたまま喋ろうとする人、また音を立てて食べ物を噛む人とは一緒に食事をしたいとは思わない。お皿の上で綺麗に食べ物をまとめていきながら、静かに、時に会話を楽しめるくらいの人がちょうどいい。つまり「一緒に食事すら出来ない人と付き合うなんてトンデモナイ!w」と私個人は思うわけです。辛口発言をするならば、付き合う云々の前に、生理的に受け付けないかもしれない…(・ω・`
話を元に戻しますと、「相手の食事の取り方が自分の好みにあったとき、相手に異性としての魅力を感じる」ということがいえるというわけですね。つまりものを食べるという行為は、ある種のセクシーさを持ち合わせているといえるのではないでしょうか。むむん、確かにかなりのイケメンでも、食事中にくちゃくちゃ音を立てて食べていたら幻滅しますよね。いかにも「残念なイケメン」というレッテルが貼られそうです。「顔はいいんだけど…、付き合いたいとは思えないわ」ってやつです(笑)。
対人印象を大きく左右するのは、もしかしたら目力でも顔色でも髪型でもなく、口元なのかもしれない。口元が緩んでいるとだらしない印象やを相手に与えるし、口元がへの字になっていれば当然不機嫌な印象を与える。それに唇の色が悪いと不健康に見えてしまう。逆に口元が笑っていれば、明るい印象を相手に与えることが出来る。ナチュラルメイクで軽く紅を引いておけば健康的にみえたりもする。
「自分の口元ゆるみすぎかも!」と思った人はこれを機会に鏡の前で引き締め練習するといいかもですね。うっかり見落としがちかもしれませんが、口元って結構大事ですよ!w
というのも斜向かいに座っている男子の顔が滅茶苦茶しまりのない顔だったのです。
彼は本日の発表者だったのだが、先生に何を質問されても「はぁ…、はぁ…」としか言わない。いい加減イラっときて彼の顔をみたら、なんともまぁしまりのない顔をしていたというわけである。苛立ちを通り越して唖然とし、次は疑問が沸いてきた。なんで私は彼の顔を見て「しまりのない顔」と判断したのだろうか。
目は若干たれ目であるものの、常人レベル。うぅむ、これはどうやら原因ではないらしい。顔色・呼吸共に正常。とりわけ(*´д`*)ハァハァ しているわけではなく、これも普通。んじゃ何が原因なんだ、とレジュメを使って彼の顔の一部を隠したり覗かせたりと色々実験。嗚呼、お願いだから発表中くらいちゃんと顔を上げていてくれ(笑)。
彼がこちらの視線に気が付いてもばれないように、あくまでひっそりこっそりナチュラルにレジュメを使って観察していく私。っていうか、君。君は私の視線に気が付く前に、先生からの質問に真面目に答えなさいよ。さっき私が質問したときも沈黙で逃げようとしたジャマイカ。そこは沈黙するとこじゃなくて反論するとこでしょう!w←レジュメ内容の不確か性を指摘した。
とまぁ、観察すること約3分。ファッション・髪型・元来の顔のつくり・イケメンかそうじゃないか、などなど色々原因を考えながら見ていたんですが、最終的に行き着いた結論は口元。
そぅ、彼の口元がゆるみっぱなしだったんです。
ポカーンと大口あけてるわけじゃないんですが、口の両端が力なく垂れ下がっている。更にそのせいで若干口が開いてしまっています。(´〰`) ←あえて書くならこんなかんじ。これがもう少しぴしっと口元を引き締めて(´ー`)こういう感じになれば、まだ見栄えもするというもの。嗚呼、そういえば遠い昔、妹がぽけーーっとよく口を開いていて「しまりのない顔をするんじゃありません!w」って母親に言われてたっけw つまり格好よくきりっとした印象を振りまきたい時は、口元をきゅっと結んでるほうがいいって事ですね。
よくよく考えてみると、口というのは相手とコミュニケーションをとるために必須であり、食事をするためにも必須である。そして、「食事の好みやマナーが相手と会わないとき、自分は相手に異性としての魅力を感じていない。というか一緒に食事をしたいと思えない人とは付き合っても上手くいかない」というようなことを聞いたことがある。これについて私は大いに賛同する。汚く食べ散らかす人や口に物を入れたまま喋ろうとする人、また音を立てて食べ物を噛む人とは一緒に食事をしたいとは思わない。お皿の上で綺麗に食べ物をまとめていきながら、静かに、時に会話を楽しめるくらいの人がちょうどいい。つまり「一緒に食事すら出来ない人と付き合うなんてトンデモナイ!w」と私個人は思うわけです。辛口発言をするならば、付き合う云々の前に、生理的に受け付けないかもしれない…(・ω・`
話を元に戻しますと、「相手の食事の取り方が自分の好みにあったとき、相手に異性としての魅力を感じる」ということがいえるというわけですね。つまりものを食べるという行為は、ある種のセクシーさを持ち合わせているといえるのではないでしょうか。むむん、確かにかなりのイケメンでも、食事中にくちゃくちゃ音を立てて食べていたら幻滅しますよね。いかにも「残念なイケメン」というレッテルが貼られそうです。「顔はいいんだけど…、付き合いたいとは思えないわ」ってやつです(笑)。
対人印象を大きく左右するのは、もしかしたら目力でも顔色でも髪型でもなく、口元なのかもしれない。口元が緩んでいるとだらしない印象やを相手に与えるし、口元がへの字になっていれば当然不機嫌な印象を与える。それに唇の色が悪いと不健康に見えてしまう。逆に口元が笑っていれば、明るい印象を相手に与えることが出来る。ナチュラルメイクで軽く紅を引いておけば健康的にみえたりもする。
「自分の口元ゆるみすぎかも!」と思った人はこれを機会に鏡の前で引き締め練習するといいかもですね。うっかり見落としがちかもしれませんが、口元って結構大事ですよ!w
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先ほど学校から帰ってきて家事をすましてふと部屋の隅を見たら、わりと大きな蜘蛛がいらっしゃって大変驚きました。あの大きさだと洗濯物干してる時にはいってきたか、はたまた玄関から堂々と入ってきたとしか思えないのだよね。外に出してやろうとクリアファイルをもって近づいたら、洋服入れと壁の隙間にすすーっとはいっていってしまいました。むきゃん!w
まぁ、蜘蛛だからいいかということで、結局部屋の窓際の一角(主に衣装ケースと壁の隙間)は蜘蛛さんに与えることにしました。大きいっていっても、全長2~3センチだったし、恐らくでっかい巣を張るタイプではなさそうなので別にいいか、みたいな(・ω・@ 流石に毒々しい色をしたデカイ蜘蛛だったら駆除を考えるけど、茶色のおとなしそうな蜘蛛だったしね。
私は小さい頃から何故か蜘蛛に縁?があって、わりと蜘蛛は頭のいい動物だと認識しています。民家に出入りする蜘蛛っていうのは大概ハエとか蚊とかホコリとか、そういうのを食べてくれるので害は基本的にないんですよね。むしろ居てくれると助かるww それをしっていたからこそ小さい頃自分の机周りに小さな蜘蛛(ぴょんぴょんはねて移動するやつ)が出没しても退治しようとは思わなかったです。むしろ机の掃除人とおもってましたw たまに宿題とかテキストの上にのって邪魔をしてくるので、近くをトントン叩いて「向こうに行って」と合図をだすと机の隅の方に帰っていってました。意外と頭がいいです。そういう意味で、「自分が居ても大丈夫な場所と、居てはいけない場所」をちゃんと理解できる生き物なのだなと思いました。
寝込みを襲われそうになったら流石に考えますが、わざわざ人のいるところに来ようとする生物ではないので、大丈夫ではないかと今のところ見込んでいます。というか、今日は洗濯物干してないから、もしかしたら結構前から住みついていたのかもしれないしw 部屋の一角を分けてあげるので、それ相応の働き(衛生害虫の駆除)には期待しておきます(笑) 闇の男爵ことゴキ●リすら駆除してくれるらしいからね! 蜘蛛を駆除する人はバカなんじゃないかと私は思ってしまう。
実家なんかで蜘蛛が母に見つかると十中八九駆除されてしまうのですが、部屋の隅と暗闇ぐらい分けてあげてもいいのにね。働き者で掃除好きで更にテリトリーをわきまえる動物って、蜘蛛以外にはあんまり居ないんじゃないのかな。
まぁ、蜘蛛だからいいかということで、結局部屋の窓際の一角(主に衣装ケースと壁の隙間)は蜘蛛さんに与えることにしました。大きいっていっても、全長2~3センチだったし、恐らくでっかい巣を張るタイプではなさそうなので別にいいか、みたいな(・ω・@ 流石に毒々しい色をしたデカイ蜘蛛だったら駆除を考えるけど、茶色のおとなしそうな蜘蛛だったしね。
私は小さい頃から何故か蜘蛛に縁?があって、わりと蜘蛛は頭のいい動物だと認識しています。民家に出入りする蜘蛛っていうのは大概ハエとか蚊とかホコリとか、そういうのを食べてくれるので害は基本的にないんですよね。むしろ居てくれると助かるww それをしっていたからこそ小さい頃自分の机周りに小さな蜘蛛(ぴょんぴょんはねて移動するやつ)が出没しても退治しようとは思わなかったです。むしろ机の掃除人とおもってましたw たまに宿題とかテキストの上にのって邪魔をしてくるので、近くをトントン叩いて「向こうに行って」と合図をだすと机の隅の方に帰っていってました。意外と頭がいいです。そういう意味で、「自分が居ても大丈夫な場所と、居てはいけない場所」をちゃんと理解できる生き物なのだなと思いました。
寝込みを襲われそうになったら流石に考えますが、わざわざ人のいるところに来ようとする生物ではないので、大丈夫ではないかと今のところ見込んでいます。というか、今日は洗濯物干してないから、もしかしたら結構前から住みついていたのかもしれないしw 部屋の一角を分けてあげるので、それ相応の働き(衛生害虫の駆除)には期待しておきます(笑) 闇の男爵ことゴキ●リすら駆除してくれるらしいからね! 蜘蛛を駆除する人はバカなんじゃないかと私は思ってしまう。
実家なんかで蜘蛛が母に見つかると十中八九駆除されてしまうのですが、部屋の隅と暗闇ぐらい分けてあげてもいいのにね。働き者で掃除好きで更にテリトリーをわきまえる動物って、蜘蛛以外にはあんまり居ないんじゃないのかな。
世の中には悪い噂もあれば、いい噂もある。
物事には一長一短あるのが当たり前なのに、どうして人は短所ばかり叩きたがるのだろう。
新聞やテレビをみても、報道内容の2/3は大概悪いニュース。どこの会社が不正しただとか、どこそこの誰かさんが殺害されたとか。いいニュースっていうのは地方ネタかスポーツネタか皇室ネタくらいなものではないだろうか。芸能ネタはワタクシ非常に疎いのでどうなのかわかりませんがw
だから私は往々にして新聞を読むのが好きではない。確かに世の中で起こっていることを知ることはとても大事だし、そういった世の流れの中で私たちは生きているのだから、知らなければ当然損をしたり恥をかいたりすることはある。また、社会人として日本経済に貢献する以上、世の中の流れを知ることは当然とされている節もある。
だけど、何でわざわざ嫌な気持ちになるために新聞を読まなくてはいけないのだろうか。どこぞの会社が不正を働いたとか、どっかの教師が生徒にセクハラしたとか、はっきりいって読んでいて気分のいいものじゃない。そんなんだったら新聞のコラムや広告を眺めているほうがよっぽどマシだな、って思うのよ。
私の実家は記事の読みやすさを重視して朝日新聞を取っている。私は小さい頃からあまり新聞をよむ習慣がなかったのだが、テレビ欄とコラムと広告と子供向け記事には暇があれば目を通していた。特に水曜日には三谷幸喜さんのエッセイが必ず載るので、頻繁にチェックしていた。だっておもしろいんだもの(・ω・@
世の中の真実を伝えるのがメディアの仕事。
確かにそうなんだけど、だけど、世の中ってこんなに嫌なことしかないの?いい事ってほんの少ししかないの?ここ数日で何人の子供が生まれたとか、百歳を迎える人がどれだけいるとか、中学高校大学の行事がどんな風に行われたとか。世の中にはステキなことも楽しいことも沢山あるはずなのに、どうしてメディアは悪いことばかりを世の中の真実だとして報道するのだろうか。
「いい事新聞」みたいな、そういう子供向けの新聞が出来たらいいのにね。それには世で起こった悪いことは全部書いてなくて、よかったことだけが書いてあるの。あまり政治面を褒めすぎるとかたよってるとか言われちゃうから、コラムとか地方ネタを色濃くだすのが無難なのかな。後は世の中の仕組みとかを図入りで解りやすく書いていくと面白いかも。とにかく読んでいて楽しくなれるような新聞がいいな。じゃないと子供は新聞を読みたがらないし、世の中を悲観視したまま育ってしまう。世の中を悲観視している子供って、自虐的や否定的な思考を持つようになると思うんだよね。別にそういった思考が悪いというわけではないが、それって生きていて楽しいのかなぁって楽天家の私は思ってしまうのですよ。
子供の夢を育てて、守ってあげるのが大人の仕事ではないだろうか。そして子供がその夢を実現可能なものにしようと現実と対峙したとき、その子供は大人になるのではないだろうか。
物事には一長一短あるのが当たり前なのに、どうして人は短所ばかり叩きたがるのだろう。
新聞やテレビをみても、報道内容の2/3は大概悪いニュース。どこの会社が不正しただとか、どこそこの誰かさんが殺害されたとか。いいニュースっていうのは地方ネタかスポーツネタか皇室ネタくらいなものではないだろうか。芸能ネタはワタクシ非常に疎いのでどうなのかわかりませんがw
だから私は往々にして新聞を読むのが好きではない。確かに世の中で起こっていることを知ることはとても大事だし、そういった世の流れの中で私たちは生きているのだから、知らなければ当然損をしたり恥をかいたりすることはある。また、社会人として日本経済に貢献する以上、世の中の流れを知ることは当然とされている節もある。
だけど、何でわざわざ嫌な気持ちになるために新聞を読まなくてはいけないのだろうか。どこぞの会社が不正を働いたとか、どっかの教師が生徒にセクハラしたとか、はっきりいって読んでいて気分のいいものじゃない。そんなんだったら新聞のコラムや広告を眺めているほうがよっぽどマシだな、って思うのよ。
私の実家は記事の読みやすさを重視して朝日新聞を取っている。私は小さい頃からあまり新聞をよむ習慣がなかったのだが、テレビ欄とコラムと広告と子供向け記事には暇があれば目を通していた。特に水曜日には三谷幸喜さんのエッセイが必ず載るので、頻繁にチェックしていた。だっておもしろいんだもの(・ω・@
世の中の真実を伝えるのがメディアの仕事。
確かにそうなんだけど、だけど、世の中ってこんなに嫌なことしかないの?いい事ってほんの少ししかないの?ここ数日で何人の子供が生まれたとか、百歳を迎える人がどれだけいるとか、中学高校大学の行事がどんな風に行われたとか。世の中にはステキなことも楽しいことも沢山あるはずなのに、どうしてメディアは悪いことばかりを世の中の真実だとして報道するのだろうか。
「いい事新聞」みたいな、そういう子供向けの新聞が出来たらいいのにね。それには世で起こった悪いことは全部書いてなくて、よかったことだけが書いてあるの。あまり政治面を褒めすぎるとかたよってるとか言われちゃうから、コラムとか地方ネタを色濃くだすのが無難なのかな。後は世の中の仕組みとかを図入りで解りやすく書いていくと面白いかも。とにかく読んでいて楽しくなれるような新聞がいいな。じゃないと子供は新聞を読みたがらないし、世の中を悲観視したまま育ってしまう。世の中を悲観視している子供って、自虐的や否定的な思考を持つようになると思うんだよね。別にそういった思考が悪いというわけではないが、それって生きていて楽しいのかなぁって楽天家の私は思ってしまうのですよ。
子供の夢を育てて、守ってあげるのが大人の仕事ではないだろうか。そして子供がその夢を実現可能なものにしようと現実と対峙したとき、その子供は大人になるのではないだろうか。
数日前から真面目に教習所に通っている兎です。こんばんわ。今日は初めての実技授業です。22歳初日に教習実技1日目とかちょっとした記念ですね。車は実家にないので馴染みがないのですが、事故らないように頑張ります。まぁ、明日はシュミレーターだけれども(笑)。
さてさて、教習に通いだしてから、日常内で車の動きをよくみるクセがついてきました。前述したとおり私の家には車がなかったので、車についての知識は皆無。小さい頃からよくのっていれば、標識とか右左折のお約束とか知っていたのかもだけどね。そして今日気が付いたのだけど、チャリに乗るとき車の動きを意識すると自然と安全運転になるんですよね。というか教習である程度車の動きを教えてもらっているから、次に車がどういう動きをするのか、このサインをだしたらどのくらいで次の行動に移るのかがわかるようになったんです。だから私もそれに合わせた運転をするんです。すると自然と安全運転に…w
双方向からのベクトルって何においても必要なんだなと痛感しました。
松浦理恵子の『葬儀の日』ではないけれど、人のバランスってやっぱり左右対称のベクトルが反発しあってソコに保たれているのだろうね。親子であっても友達であっても、双方向からの働きかけがあって成り立つのだよね。
そろそろ自分の年齢とか誕生日とかどうでもよくなってきた。大体祝ってほしい人にかぎって私の誕生日覚えてなかったりするからな。というか、他人の誕生日を覚える癖があるのって私だけなのだろうか。たった4桁の数字なので、10人くらいの誕生日なら余裕で記憶できるのだけど…。親友に私の誕生日をいい加減覚えたのか聞いてみたいものだ。彼とは9年近くの付き合いになるが、彼が私の誕生日を覚えていたことはなかった気がする。大概他の子が覚えていて、それを聞いて「あー、そいえばお前今日誕生日だったっけ?」的な。まぁ、もう慣れたけどね。
今日もいつもどおりの日曜日。うん、それでいいんだ。
さてさて、教習に通いだしてから、日常内で車の動きをよくみるクセがついてきました。前述したとおり私の家には車がなかったので、車についての知識は皆無。小さい頃からよくのっていれば、標識とか右左折のお約束とか知っていたのかもだけどね。そして今日気が付いたのだけど、チャリに乗るとき車の動きを意識すると自然と安全運転になるんですよね。というか教習である程度車の動きを教えてもらっているから、次に車がどういう動きをするのか、このサインをだしたらどのくらいで次の行動に移るのかがわかるようになったんです。だから私もそれに合わせた運転をするんです。すると自然と安全運転に…w
双方向からのベクトルって何においても必要なんだなと痛感しました。
松浦理恵子の『葬儀の日』ではないけれど、人のバランスってやっぱり左右対称のベクトルが反発しあってソコに保たれているのだろうね。親子であっても友達であっても、双方向からの働きかけがあって成り立つのだよね。
そろそろ自分の年齢とか誕生日とかどうでもよくなってきた。大体祝ってほしい人にかぎって私の誕生日覚えてなかったりするからな。というか、他人の誕生日を覚える癖があるのって私だけなのだろうか。たった4桁の数字なので、10人くらいの誕生日なら余裕で記憶できるのだけど…。親友に私の誕生日をいい加減覚えたのか聞いてみたいものだ。彼とは9年近くの付き合いになるが、彼が私の誕生日を覚えていたことはなかった気がする。大概他の子が覚えていて、それを聞いて「あー、そいえばお前今日誕生日だったっけ?」的な。まぁ、もう慣れたけどね。
今日もいつもどおりの日曜日。うん、それでいいんだ。
最近ニコニコ動画で『薄桜鬼』という新撰組のアニメの2期が配信されはじめたらしいですね。
そいえばこのアニメ、以前友人に勧められたといって妹がよつべでみてたなと思いだし、どれどれとおもってよつべで検索して見てみました(・ω・@
で、OP早々盛大に噴き出しました。
土方さん、フェロモン出しすぎ!!w
第一話見たとき、唯一見分けが付いたのは近藤勇、土方歳三、山南敬助、原田佐之助の4人だけです。
このアニメ、全員美形に書きすぎるから誰が誰だかさっぱり見分けがつかなかったのだよ。私の中で新撰組のお色気担当(!?)といったら沖田総司なんですが、最初誰が沖田君かわからなかった…。しかも永倉新八(通称しんぱっつあん)がでかいし!!そして藤堂平助がちっさいし!!…逆じゃね?というか藤堂平助がちびっこ元気の美形男子で登場したから、最初こっちが沖田君かとおもったじゃまいか!
ちなみに何故上記4人が判別できたのかというと、
①近藤勇…そこまで美男子には描かれておらず、どーっしりとしたいかにも能天気な人のよさそうな顔をしていたので・ω・
②土方歳三…この人は写真も残っている所為か、どこのアニメでも漫画でも似たような顔と髪形になるので一目瞭然。そしてどの作品でも渋くてかっこいぃ美味しい役柄ですね。
③山南敬助…おとなしそうなやさしそうな雰囲気で描かれていたら、まずこの人。
④原田佐之助…新撰組幹部内での槍士といったら、絶対この人。もう浪漫の塊。そして腹芸といったらこのh(ry
そして独断と偏見でフェロモン放出度をランク付けするなら、1位土方さん、2位佐之助、3位風間。
沖田君全然色っぽくない!w ちなみに4位は斉藤一かな。『ピースメーカー』でのおっさんくさいイメージが強かったので、最初斉藤君だと認識するのに大分時間がかかりましたが…w
遅いとはおもいますが、最終話付近までいって、私はようやくこのアニメの原作が乙女ゲーだって気が付きました。だって途中までは割りと普通の新撰組アニメかとおもって見られたんです。だけど後半になるにつれ歯の浮くような…、もとい、女の子の夢の塊のようなセリフがぽろぽろと出てきたので、やっと気が付いたんですよ。まぁ、TV放映されるアニメってことで制作側もある程度制限をかけていたとは思うんだけどね。このアニメを妹にめちゃくちゃオススメしていた妹の友人の趣味がだだわかりですね(・ω・`
話は変わりますが、昨日の夜近くのスーパーに買い物に行ったところ、なんとも奇妙なカップルを目撃しました。
男性のほうはね、まぁ若干ちゃらついてはいるものの普通の格好してるんです。特に変な髪の色をしているというわけでもなく、いたって普通の黒髪。
しかし女性の格好がびっくりでして…。赤いランドセルを背負ってたんです。あの小学校で背負う赤いランドセルです。しかも裾が広がるように意図的に設計された、まるでミ●ーちゃんのような赤いスカートに、フリルの付いた白のブラウス。綺麗な髪はおかっぱに切りそろえられてました。
最初我が目を疑い、次は「…何のプレイなんだこれは」と思ってしまった。
ゴスロリ姿で街中を歩く人を目撃するよりびっくりしたよ、あれは!w 多分、というか絶対あれはコスプレしてたんだろうけど、あの女の人は背も高かったし骨格もしっかりしてる感じだったので、小学生のコスプレより普通のゴスロリのほうが似合う気がするんだけどなぁ…。というかコスプレしなくても似合う服が沢山ありそうな人だったw
でね、夢って難しいなぁって思ったんです。
『薄桜鬼』にしたって、どの乙女ゲーにしたってそうだけど、結局あれらは女の子の夢でしかないんだよね。確かに凄くステキだとおもうし、色っぽいとも思うが、絶対にあんな人は実在しない。それをわかっている上で楽しむのならいいのだけど、あれが全てだと思ってしまったら、きっと一生恋愛などできない。コスプレのお姉さんは、小学生のコスプレが似合う自分を夢見ていたのだろう。でも悲しいながら実際はそうじゃない。
夢を見ることは自由だし、夢を追い続けることは素晴らしいことだと思う。だけど、だからといってそれは現実を見ないことの理由にはならないのだよね。
私の友人で、アニメや可愛いものが大好きな男の子がいる。凄くいい奴なので私も大好きなのだが、彼はどうしても恋愛が出来ない。それはきっと夢ばかりを追いかけすぎていて、相手の為に自分を磨く努力をするという大事なことを見落としている所為なのだろうと、私は常々感じている。人の気持ちをよく考えるいい奴なのだが、どうやら自分の事に対しては人一倍疎いらしい(笑)。まぁ、そこが彼らしいのだけどね。
現実を見ながら、私も自分の夢を叶えていきたい。そう改めて感じた。
そいえばこのアニメ、以前友人に勧められたといって妹がよつべでみてたなと思いだし、どれどれとおもってよつべで検索して見てみました(・ω・@
で、OP早々盛大に噴き出しました。
土方さん、フェロモン出しすぎ!!w
第一話見たとき、唯一見分けが付いたのは近藤勇、土方歳三、山南敬助、原田佐之助の4人だけです。
このアニメ、全員美形に書きすぎるから誰が誰だかさっぱり見分けがつかなかったのだよ。私の中で新撰組のお色気担当(!?)といったら沖田総司なんですが、最初誰が沖田君かわからなかった…。しかも永倉新八(通称しんぱっつあん)がでかいし!!そして藤堂平助がちっさいし!!…逆じゃね?というか藤堂平助がちびっこ元気の美形男子で登場したから、最初こっちが沖田君かとおもったじゃまいか!
ちなみに何故上記4人が判別できたのかというと、
①近藤勇…そこまで美男子には描かれておらず、どーっしりとしたいかにも能天気な人のよさそうな顔をしていたので・ω・
②土方歳三…この人は写真も残っている所為か、どこのアニメでも漫画でも似たような顔と髪形になるので一目瞭然。そしてどの作品でも渋くてかっこいぃ美味しい役柄ですね。
③山南敬助…おとなしそうなやさしそうな雰囲気で描かれていたら、まずこの人。
④原田佐之助…新撰組幹部内での槍士といったら、絶対この人。もう浪漫の塊。そして腹芸といったらこのh(ry
そして独断と偏見でフェロモン放出度をランク付けするなら、1位土方さん、2位佐之助、3位風間。
沖田君全然色っぽくない!w ちなみに4位は斉藤一かな。『ピースメーカー』でのおっさんくさいイメージが強かったので、最初斉藤君だと認識するのに大分時間がかかりましたが…w
遅いとはおもいますが、最終話付近までいって、私はようやくこのアニメの原作が乙女ゲーだって気が付きました。だって途中までは割りと普通の新撰組アニメかとおもって見られたんです。だけど後半になるにつれ歯の浮くような…、もとい、女の子の夢の塊のようなセリフがぽろぽろと出てきたので、やっと気が付いたんですよ。まぁ、TV放映されるアニメってことで制作側もある程度制限をかけていたとは思うんだけどね。このアニメを妹にめちゃくちゃオススメしていた妹の友人の趣味がだだわかりですね(・ω・`
話は変わりますが、昨日の夜近くのスーパーに買い物に行ったところ、なんとも奇妙なカップルを目撃しました。
男性のほうはね、まぁ若干ちゃらついてはいるものの普通の格好してるんです。特に変な髪の色をしているというわけでもなく、いたって普通の黒髪。
しかし女性の格好がびっくりでして…。赤いランドセルを背負ってたんです。あの小学校で背負う赤いランドセルです。しかも裾が広がるように意図的に設計された、まるでミ●ーちゃんのような赤いスカートに、フリルの付いた白のブラウス。綺麗な髪はおかっぱに切りそろえられてました。
最初我が目を疑い、次は「…何のプレイなんだこれは」と思ってしまった。
ゴスロリ姿で街中を歩く人を目撃するよりびっくりしたよ、あれは!w 多分、というか絶対あれはコスプレしてたんだろうけど、あの女の人は背も高かったし骨格もしっかりしてる感じだったので、小学生のコスプレより普通のゴスロリのほうが似合う気がするんだけどなぁ…。というかコスプレしなくても似合う服が沢山ありそうな人だったw
でね、夢って難しいなぁって思ったんです。
『薄桜鬼』にしたって、どの乙女ゲーにしたってそうだけど、結局あれらは女の子の夢でしかないんだよね。確かに凄くステキだとおもうし、色っぽいとも思うが、絶対にあんな人は実在しない。それをわかっている上で楽しむのならいいのだけど、あれが全てだと思ってしまったら、きっと一生恋愛などできない。コスプレのお姉さんは、小学生のコスプレが似合う自分を夢見ていたのだろう。でも悲しいながら実際はそうじゃない。
夢を見ることは自由だし、夢を追い続けることは素晴らしいことだと思う。だけど、だからといってそれは現実を見ないことの理由にはならないのだよね。
私の友人で、アニメや可愛いものが大好きな男の子がいる。凄くいい奴なので私も大好きなのだが、彼はどうしても恋愛が出来ない。それはきっと夢ばかりを追いかけすぎていて、相手の為に自分を磨く努力をするという大事なことを見落としている所為なのだろうと、私は常々感じている。人の気持ちをよく考えるいい奴なのだが、どうやら自分の事に対しては人一倍疎いらしい(笑)。まぁ、そこが彼らしいのだけどね。
現実を見ながら、私も自分の夢を叶えていきたい。そう改めて感じた。