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そいえばこのアニメ、以前友人に勧められたといって妹がよつべでみてたなと思いだし、どれどれとおもってよつべで検索して見てみました(・ω・@
で、OP早々盛大に噴き出しました。
土方さん、フェロモン出しすぎ!!w
第一話見たとき、唯一見分けが付いたのは近藤勇、土方歳三、山南敬助、原田佐之助の4人だけです。
このアニメ、全員美形に書きすぎるから誰が誰だかさっぱり見分けがつかなかったのだよ。私の中で新撰組のお色気担当(!?)といったら沖田総司なんですが、最初誰が沖田君かわからなかった…。しかも永倉新八(通称しんぱっつあん)がでかいし!!そして藤堂平助がちっさいし!!…逆じゃね?というか藤堂平助がちびっこ元気の美形男子で登場したから、最初こっちが沖田君かとおもったじゃまいか!
ちなみに何故上記4人が判別できたのかというと、
①近藤勇…そこまで美男子には描かれておらず、どーっしりとしたいかにも能天気な人のよさそうな顔をしていたので・ω・
②土方歳三…この人は写真も残っている所為か、どこのアニメでも漫画でも似たような顔と髪形になるので一目瞭然。そしてどの作品でも渋くてかっこいぃ美味しい役柄ですね。
③山南敬助…おとなしそうなやさしそうな雰囲気で描かれていたら、まずこの人。
④原田佐之助…新撰組幹部内での槍士といったら、絶対この人。もう浪漫の塊。そして腹芸といったらこのh(ry
そして独断と偏見でフェロモン放出度をランク付けするなら、1位土方さん、2位佐之助、3位風間。
沖田君全然色っぽくない!w ちなみに4位は斉藤一かな。『ピースメーカー』でのおっさんくさいイメージが強かったので、最初斉藤君だと認識するのに大分時間がかかりましたが…w
遅いとはおもいますが、最終話付近までいって、私はようやくこのアニメの原作が乙女ゲーだって気が付きました。だって途中までは割りと普通の新撰組アニメかとおもって見られたんです。だけど後半になるにつれ歯の浮くような…、もとい、女の子の夢の塊のようなセリフがぽろぽろと出てきたので、やっと気が付いたんですよ。まぁ、TV放映されるアニメってことで制作側もある程度制限をかけていたとは思うんだけどね。このアニメを妹にめちゃくちゃオススメしていた妹の友人の趣味がだだわかりですね(・ω・`
話は変わりますが、昨日の夜近くのスーパーに買い物に行ったところ、なんとも奇妙なカップルを目撃しました。
男性のほうはね、まぁ若干ちゃらついてはいるものの普通の格好してるんです。特に変な髪の色をしているというわけでもなく、いたって普通の黒髪。
しかし女性の格好がびっくりでして…。赤いランドセルを背負ってたんです。あの小学校で背負う赤いランドセルです。しかも裾が広がるように意図的に設計された、まるでミ●ーちゃんのような赤いスカートに、フリルの付いた白のブラウス。綺麗な髪はおかっぱに切りそろえられてました。
最初我が目を疑い、次は「…何のプレイなんだこれは」と思ってしまった。
ゴスロリ姿で街中を歩く人を目撃するよりびっくりしたよ、あれは!w 多分、というか絶対あれはコスプレしてたんだろうけど、あの女の人は背も高かったし骨格もしっかりしてる感じだったので、小学生のコスプレより普通のゴスロリのほうが似合う気がするんだけどなぁ…。というかコスプレしなくても似合う服が沢山ありそうな人だったw
でね、夢って難しいなぁって思ったんです。
『薄桜鬼』にしたって、どの乙女ゲーにしたってそうだけど、結局あれらは女の子の夢でしかないんだよね。確かに凄くステキだとおもうし、色っぽいとも思うが、絶対にあんな人は実在しない。それをわかっている上で楽しむのならいいのだけど、あれが全てだと思ってしまったら、きっと一生恋愛などできない。コスプレのお姉さんは、小学生のコスプレが似合う自分を夢見ていたのだろう。でも悲しいながら実際はそうじゃない。
夢を見ることは自由だし、夢を追い続けることは素晴らしいことだと思う。だけど、だからといってそれは現実を見ないことの理由にはならないのだよね。
私の友人で、アニメや可愛いものが大好きな男の子がいる。凄くいい奴なので私も大好きなのだが、彼はどうしても恋愛が出来ない。それはきっと夢ばかりを追いかけすぎていて、相手の為に自分を磨く努力をするという大事なことを見落としている所為なのだろうと、私は常々感じている。人の気持ちをよく考えるいい奴なのだが、どうやら自分の事に対しては人一倍疎いらしい(笑)。まぁ、そこが彼らしいのだけどね。
現実を見ながら、私も自分の夢を叶えていきたい。そう改めて感じた。
もうすっかり食べ物がおいしい季節になりました。まさに天高く馬肥ゆる秋ですね。
こんにちは。体重計を若干気にしつつご飯を食べている兎です。学校も始まったから学食の御飯を食べに行く機会も増え、ほんのりですが肥えつつあります。むぅん、自重しなければ。特にクレープとかクレープとかクレープとk(ry
さて、今回久しぶりの参加となるトラックバック企画の御題はコチラ:「何肉が一番好き?」
生まれてこの方食べたことのないお肉というのも多いので一概には言えないのですが、私は鶏肉が大好きですね。特にモモ肉。胸肉はぱさぱさしててあまりすきくないのです。飲み屋にいけば必ず鳥のから揚げ注文しますし、下宿先でもモモ肉を使った料理はよくします。調理しやすいし、健康にもいいし、安いしで、モモ肉様様です(・ω・@ 健康に一番いいのは豚肉だと言われますが、豚は若干料理しづらいので私の中では二番手。豚肉の臭みも(本当に若干だけど)あまり好きじゃないので、癖のない鳥が私の中ではベストワン。
また、高級食材ともいわれる牛肉も滅多に食べませんし料理しません。牛肉って脂肪だけで構成されているような気がして、健康を考えるとあまり食べたいとは思えないのです。おまけに高いし・3・
結局私は超庶民で、超庶民どおりの味覚をしているということですね。
ちなみに我が家の肉じゃがには豚肉が使用されています。本来肉じゃがって牛肉とジャガイモで作られるものらしいのですが、庶民代表の我が家は豚肉とジャガイモで作ります。ちなみに人参も投下されます。知らなかったけど、カレーや肉じゃがに人参を入れないで作るお家って結構あるんですね。
これは以前親友がカレーを作ってくれたときの話なのですが、彼は普段人参を入れない代わりにナスをいれているとか。私が「えー。人参も入れてよー」とわがままを言った為、その時は人参を入れてくれましたが、普段は入れないそうです。だけどナスはばっちり投入されていてちょっと笑えました。これが冬になったらどうなるのだろうか(笑)
少し話題からずれてしまうが、馬とか猪とか兎とかのお肉もそのうち食べてみたいなと思う。あとイルカと鯨も!w 後者2つは昔はよく学校給食ででたらしいけど、私たちの世代になるともうそれもなかったんだよね。興味本位で鶏肉に似ていると噂の蛙肉も食べてみたいとは思ってます。
はぁ~ぁ。誰か私にお肉を料理して持ってきて!w
10月1日。
静岡まで内定式のためにお出かけしてきました。
内定式では社長が5分で終わる挨拶を15分に引き伸ばしたり、昔お世話になった先生が人事として司会をしていたり、お昼のお弁当もらえたり。100人近くの学生がいて、ちょっと色々と疲れましたw
だけど、内定式にでて一番驚いたのは、高校時代の同級生が1人いたということ。彼とは1年時と3年時の時にクラスが一緒でした。そして時々このブログにも名前が現れるボーカロイドの使い手。そぅ、ぺぺろん君です・ω・ いや、内定式でまさかの再開とは思わなかった。一瞬他人の空似かとおもったけど、胸にある名札が真実を語っておりました。どうやら向こうも「なんか知ってる顔がいるし!w」と思ったらしいです。ちなみに彼も神奈川でのエリア勤務なので、来年からは一緒に仕事をする機会があるかもしれません。なんたる偶然。ぺぺろん君はいい具合に大人っぽくなってたので、大学でいいほうに化けたんだなと感じました。あ、ぺぺろん君ファンの友人のために、彼のスーツ姿を激写してくればよかった!w
学生時代、私はとりたてて彼と凄く仲がよかったわけでもないのですが(私より親友とのほうが仲よかったしw)、知人がいるっていうだけでなんだかちょっと心強いというか、わくわくします。え?私って単純ですかね、やっぱり。
10月2日。
1日の夜は草薙の友人宅で一泊し、2人でひたすらごろごろしながら夕方にお芝居みにいきました。本当は、お家ごろごろで満足しきってたのでそのまま京都に帰ってもよかったんですがww まぁ、友人が一人では観に行くの嫌だというし、私もチケかっちゃったしで、頑張って移動。演目としては昔同志社でやってたのをみたことがあったので、実は話のスジは大方知ってました。まぁ、若干気になる部分もあったりしたのだけど、大道具がステキだったので、全てをカバーしてたように思えます。あの手の芝居も参加してみたぃなぁ。
と、思いつつ、芝居が終わったのが8時15分ぐらい。内定式で提出する書類に恥ずかしい事してくれた父とは会いたくないので、そのまま無理矢理京都に帰還。まったく。提出書類に印鑑3回も押さないでほしいわよねっ!!w 1回でいいのに、なんで3回も押すのよっ!w はずかしいったらありゃしない。ちなみに知り合いにこのことを話したら、「捨て印かよっ!」って思いっきり突っ込まれました。うん、私もそう思います(・ω・`
ぎりぎり最後の新幹線に飛び乗ったので、なんとか0時前にはお家につけました(・ω・@ 明日はお土産のうなぎパイもって、おもひで焼きのおばちゃんの所にでもいこうかとおもいます。就職活動とかのことで結構心配してもらったしね。やっぱりちゃんと一度お礼はしておきたいんだ。
よし、いい加減ねるかw
私は比較的まじめに授業に参加するほうで、受講科目をわざと友人とかぶらせてとることは一切しない。偶然友人と会うことはあるけれど、基本的には自分の興味がある講義しか聴かないのである。
しかし、世の中の学生は全員が全員、私のように授業に興味があって参加しているとはいえない。ここ数日授業を受けてきたが、まぁ学生の授業態度が悪いこと悪いこと。特に2年生や3年生が一番ひどい。1年生はまだ若干初々しさが残っているので、比較的まじめに講義に臨んでいる感はある。
昨日の「芸術とメディア」という授業は、先生がかなり面白い話をしているにもかかわらず、ずっとひそひそこそこそ私語を続けている学生2人が私の前に座ってました。私は授業中比較的前のほうに座る癖があります。つまり2人の学生は堂々と前のほうの席で授業妨害しているということです。話の内容が就職活動どうする~?もうはじめた~?みたいな内容だったので、3年生なのだということがわかりました。確かに就職氷河期と言われている今、すごく心配なのはわかるけど、今授業中でしょ?TPOもわきまえられない人間が何就職活動とかいっちゃってるの。とか心の狭い私は苛々しながら授業を受けていました。まぁ、途中から睡眠時間に入ったらしく、静かになったので別によかったけどね。授業受ける気がないなら最初から寝ててくれ。
本日の経済学の授業も、一般教養の授業というだけあって割りとがやがやしていました。周囲にうるさい人いなかったから集中できてよかったけどね。
ただ、こういう風に授業中私語をやめない人って、自分が周囲に迷惑をかけていると知らないんだなと感じました。だってとある授業では「私たちって授業中基本おしゃべりしてるじゃーん?それでさぁ…」などと平気でいっている子がいるくらいですもの。確かに学部色というのは学内にはありまして、文学部では授業中しゃべくりまくるなど言語道断な雰囲気があるのですが、他学部ではどうやら事情も違ってくる様子。こういう子って社会に出ても自分のことしか考えないのだろうなぁなんて、おせっかいながらも思ってしまいました。もう無知の知じゃなくて無知の恥だよね。自分がTPOに反しているということに気がつかないということは、はっきりいって恥をかくことと同義だよ。
また、先日からこのブログにハングル文字でコメントを書き込む輩が現れました。ためしにコメントをハングル→日本語に変換してみたところ、ただの広告迷惑コメント。全部英語でのコメント投下を拒否しているため、どこかの業者がハングルでくっつけたのでしょう。まぁご苦労なことですこと。これもいうなれば無知の恥だと私は思っている。ひとつの記事に固執してくっつけてくるのでただの迷惑コメントじゃないのかという疑惑もありますが、私のブログが業者の(しかも韓国の)広告をはっつける場所じゃないということは明白な事実です。
今後、コメントは私の認証待ちでの公開ということにしますが、これにこりて業者には撤退してほしいですね。こういった反TPOなことを進んでやる業者に勤めている人というのは、やはり反TPOの人間なのだろう。常識をわきまえられる人間ならば、反TPOを振りまく仕事など、つらくて続けられないと思う。
自分の行動が周囲に迷惑をかけていないか。これを一切省みない生物は、動物以下である。そう考えると現代の「人間」は、現在人間と生物学的に認知されている物体の何割を占めていることになるのだろうか。
が。
書いたから一応とおもって作品提出はしましたが、書きあがるまでが大変でした。一言で言うと、書いていてダメージ受けまくり。出来上がった時はHP0.0000…(中略)1くらいの気分でした。小説なんて自分の想像力、いわば妄想力をフル稼働して創作するもののはずなのに、何で私こんなにダメージ受けてるんだろうと疑問を抱きつつ、それでも最後まで書き上げる私は、やはりMなのでしょう。いやね、これ皆に言われるんだよ。「アンタMでしょ」って。Sじゃない人間=Mという定義が成り立つならば、まぁ、私はMという事になるわけで…w なので毎回「そうだよMだよ、悪いかコンチキショー」って言ってます。
それはさておき。何で今回こんなにダメージ食らったのかのかという自己反省を致しますと、恐らくそれは自分の願望というか夢がベースとなった小説を書いてしまったというのが原因なのかな。「叶うはずないのにな」と頭ではわかってるのに、小説上では叶えてあげたくなっちゃうんですね(笑)。だから自分で自分の首を絞めることになるんです。嗚呼、Mの証ですって?そうですか、そうでしょーとも。もうどうとでも好きに言って下さい。
もうすぐ卒論も書かなきゃいけないわけだけど、私にとって「文章を書く」ということは呼吸をするくらい大事であり、自然な行為である。小説を書くことも、詩を書くことも、「やらなきゃ」とおもって書くものではなく、なんとなく書きたくなって気分が乗って自然と出てくることが多い。つまり私の感情表現手段のなかでかなり大きな割合を占めているともいえるのだ。又、私は文章というものを一種の芸術だと捉えている部分もあり、語呂や語感、文字の並びの美しさを非常に重視する傾向がある。特に年賀状の宛名書きなんて絶対に自筆。これはもう譲れない。確かにPC印刷すれば楽なのだろうケド、人の書いた文字には温かみや人間性もにじみ出るし、なにより手書き文字はアートである。同じ理由でメールよりかは手紙を書くほうが好き。特に人に伝えたいことで凄く大事なことは手書きにすることが多いのが私の特徴である。
感情を言葉にあてはめざるを得ないのが「書く」事の最難関である。音楽なら旋律で微妙な感情の揺れを表現することもできる。芝居なら役者の表情や行動で表現できる。文章は周囲の環境で主人公の心情を描写することが可能とはいえ、ある意味非常に特殊な感情表現であるといわざるを得ない。
主人公が悲しい気持ちになってる場合、大概雨が降る。
天気は小説などにおいて心情を表す一種のツールとして使われるが、実際現実にこういったことが起こったらたまったものではない。誰かが悲しい気持ちになるたんびに雨が降るなら、全国各地はきっと毎日雨だろう。
じゃあ、かといって「嬉しい」だの「悲しい」だのそういった表現を使うと、感情が軽いものとなってしまう。大体人は嬉しくても悲しくても、そんなことを口に出して主張することは少ないのだ。だから心情描写の上手い作家さんは凄い。
最近こういったものがおぼろげに見えてきた所為もあり、逆に何もかけなくなった。この前書いた短編は、おそらく1年ぶりぐらいの執筆活動だったのではないかと思えてしまう。
こういったブログは日々考えていることや近状報告をするだけなので、あまりエネルギーを消費しない。だからこそこんなに長期的に続けていられるわけだけど、小説を書くとなるとそうもいかない。徹底的に構成を練り上げ、言葉を練り上げ、登場人物を練り上げ、文字の美しさを練り上げる。これと同じくらいエネルギーを要するのが、手紙である。
実は最近、ある人物に手紙を書いた。結局その手紙を出すことはなかったのだけど、封筒や便箋を選ぶところから時間がかかり、やっと希望通りのものを手に入れたら、次は文章構成と表現方法で悩む悩む悩む。次はどのペンを使って書くのが、この便箋と内容にとって最もふさわしいか、文字の大きさ、漢字とひらがなの使い分け等々。結局3枚の便箋を書くのに要した時間は計5時間くらいだったと思う。手書き文字には温かみや人間性もにじみ出ると思っている私だからこそココまで時間を割くわけだ。暇人だなと、思う方もいらっしゃるかもしれないが、受け取った人の気持ちを考えると、やはり手間隙をかけたくなる。まぁ、あと手書き文字はアートだという若干のプライドも影響しているけどね(笑)。
だから逆に私は手紙をもらうのが凄く好きである。相手が自分のためにどれだけ手間隙をかけてくれたか、つまりどれだけ大切に考えてくれているかが(ある程度ではあるが)解るし、相手のセンスも見ることが可能だからである。これだけ文明化が進むと、手書きで手紙を書くことが苦手という方も多くなってくるとおもう。メンドクサイ。自分の字が綺麗じゃない。様々な理由はあるだろう。しかし、私は一度でいいから手紙を書いてほしいと思う。封筒や便箋選びから相手のことを考えて、丁寧に文字を綴れば、たとえ内容が陳腐なものだったとしても相手は非常に温かい気持ちになることだろう。逆に、自分がもしそういった手紙をうけとったとしても、優しい気持ちになることが出来ると思う。