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いろんな事にくじけそうになりながら、毎日一生懸命生きてる小さな兎のヒトリゴト。
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ツイッター連携機能というものがとうとう忍者にも導入されたらしいです。どんな機能なのかよくわからないので、まずは使ってみることにしました(・ω・@) うっとおしくなったら解除するつもり。


うん。でね、タイトルどおり厳と優の関係性について。
これは言ってみれば厳しさと優しさの関係性って事が書きたかったのだけれども。ちょっと解りづらい省略の仕方だっただろうか…。
厳しさと優しさは相対するものだと言う人が世の中にはいる。確かに言葉だけでみると間逆の位置にあるものだろう。だけどその本質を見たとき、果たして本当にそういえるのだろうか。これは私自身の経験だけど、高校3年生の時、ある男子部員の部活届けの紙を破って本人に突っ返したことがある。人の書類を破ることは悪いことだと解っていたし、後で顧問に怒られることも覚悟していた(実際後日厳重注意を受けた≪笑)。だけど、私は彼の部活登録所を破って本人に突っ返さなくてはいけなかった。あれから5年近くが経ったが、今でもあの行為に反省はしても後悔はしていない。
多分、私が誰かの為に本気で厳しくしたのは、あの時が最初で最後だったと思う。
私は本当に彼の演技が好きだった。当時私は演出を担当していたが、彼の演技はそのバリエーションの豊富さで飽きることが無かった。そして更に言えば、素の魅力でそのバリエーションの多さを編み出していることを単純に凄いと思っていた。一種の才能とさえ思っていた。しかし彼は学年が増すごとに、酷く甘い人間に変わった。部活にも全く顔を出さなくなり、それでも尚籍だけは置こうとした。私はそれが許せなかった。私は彼が好きだったからこそ、その甘えが許せなかった。嫌いじゃないからこそ、部活登録書を破って突っ返した。


今でもたまに誰かに厳しく当たることはある。でも、高校3年生の時ほど厳しくは無いと思う。それは、あの時ほど信頼できる仲間が近くに居ないからなのだろうか。本気でぶつかり合って、喧嘩して、泣いて、それでも一緒に何かを作っていく。そんな仲間がいないからなのではないだろうか。
嗚呼、高校生の時は、何にも縛られずにやりたい放題できたなぁ。今更ながらそう思う。
そして同時に、誰かが本気で自分の為に怒ってくれるのはありがたいことだと切に感じる。
私自身がいくら傷ついても、泣いても、事実に基づいて私の為に怒ってくれているのならば、私は喜んでそのお叱りを受けようと思う。それがきっと、次の一歩に繋がるはずだから。
 

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