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いろんな事にくじけそうになりながら、毎日一生懸命生きてる小さな兎のヒトリゴト。
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誰にだって時には泣きたくなるときも、悲しくなるときもあるのだとおもう。その気持ち自体を否定することはできないし、したからって状況がよくなるわけでもない。笑いたいときは笑って、泣きたいときは泣いて、怒りたいときに怒るのが一番健康なのだろう。でも誰の前でも素直にそうやって感情をさらけ出せる人ってあまりいないよね。逆にいたとしたらKYとか自己中とかいわれちゃいそう。だから皆他人の前では演技して、自分の感情を作って、本当の感情を殺しているのだ。すごく不健康だね。


今、凄く会いたい人がいます。でもそれは100%不可能だから、考えないようにしています。でも考えないようにしていても、どうしても考えてしまいます。数ヶ月前、中学時代の同級生が事故で亡くなりました。彼とはなんだかんだ仲がよくて、色々喋ってたのを覚えてます。私のことを初めて「アホ」と形容した男の子でした。バスケ部で色が白くて、「シロ」というあだ名でした。勉強できなかったけど、私より生活の智恵がある子でした。あまりの私のアホ加減にあきれて、「今度ピザ作ってやるよ」と何故かいわれたのを今でも覚えてます。でも結局作ってもらう機会はなくて、それがちょっと心残り。連絡先とかは知らなかったけど、生きてればまたどこかであえるだろうと思ってました。でももう会いたくても会えない。でもね、生きていたら会える確率が100%かっていったらそうじゃないのよね。生きていたって、というか生きているから、社会とかかわっているからこそ、世間体・仕事・家庭・地理・お金、色々なものに縛られちゃう。だから、会えない。


亡くなってしまって会えないのと、社会的なものに縛られて会えないのと、何が違うのだろうか。

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