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あー、ああーーー、……あぁ。
人には突然襲い掛かる感情の波がある。突然泣きたくなったり、突然笑いたくなったり。特に女性はその波が激しいようで、故に男性に「メンドクサイ」と形容されたりする。
確かに男性陣からしたらメンドクサイかもしれない。
でもさー。貴方たちが逆立ちしても出来ないことを、さらりと彼女たちはやってるんだよ?素直な感情表現すら出来ない人にメンドクサイとか言われたくないよね。大体こちとらだって好きで感情の波に乗っているわけじゃないんだから。感情の波がどどどどどーって来て、こっちは「ぎゃあああ!」って飲み込まれるだけなんだから(笑)。え?コントロールしろって?したらしたで、第二波が来たときもっと凄いことになるけどいいのかい?w
この記事を本当に読んで欲しい人は、きっと読んでいない。
本当は絶対男性陣の方が「メンドクサイ」と思うんだよね。プライドと建前がごちゃまぜになって、本音とか弱音なんて吐こうとはしないの。で、一人で頑張って頑張って、大事なものに八つ当たりしたりして。
忙しくなったり、時間が経つと、自分が持っているものが「当たり前」になってきたりして、冷たく接したり、乱暴に扱う人もいる。どうしてそれが「当たり前じゃない」という事を忘れてしまうのだろうか。で、手放してしまってから「嗚呼、当たり前じゃなかったんだ。まぁでも代わりのものを探せばいいしな」ってなるのは凄くもったいない。代わりのものを探す労力や手間だってかかるし、なにより失った対象が人間である場合、代わりの席を埋めることは誰にも出来ないからだ。
できる大人はスイッチの切り替えが出来る大人。
頑張る時間と、休息の時間。これの区別がしっかりつけられない人は、身の回りがぼろぼろと崩れていって、やがては取り返しの付かないほどの崩壊の波がやってくると私は思っている。常に頑張っていて、大事なものを見失った人は、そのうち独りであることに気が付くだろう。独りである人間が「人間性」を子供に問うたところで、果たして説得力があるだろうか。独りである人間が「自己の素晴らしさ」をどんなに周囲に誇示しようとも、誰も振り返らなくなる。
それはきっと、人間的魅力がなくなってしまうからだ。
いくら技術があったって、いくら能力があったって、人間的魅力がない人と関わりたいと思う人はいない。
きっとね、魅力の無い人って「自分の事だけしか考えてない人」なのだよ。頑張りすぎて、周囲を全く見なくなっちゃう人。だから休息の時間が絶対に必要だと私は思うんだ。周りを見て、ちゃんと「当たり前」に感謝できる人。
秦の始皇帝は確かに才能のある人だったけど、その治世が長く続かなかったのは、そのお人柄故。国民の反感買っちゃうくらいだもんね。そういう意味で、国民にしてみれば、魅力の無い暴君に過ぎなかったのかもしれない。
どんなに少しでもいい。頑張らない時間を、休息の時間を、とって欲しい。そうでなければ、貴方の魅力がなくなってしまうから。それは、とても勿体無い。知っていながら何もできない私は凄く歯がゆい。
だからせめて、そんな私の想いを、ほかならぬ人へ捧ぐ―――。
人には突然襲い掛かる感情の波がある。突然泣きたくなったり、突然笑いたくなったり。特に女性はその波が激しいようで、故に男性に「メンドクサイ」と形容されたりする。
確かに男性陣からしたらメンドクサイかもしれない。
でもさー。貴方たちが逆立ちしても出来ないことを、さらりと彼女たちはやってるんだよ?素直な感情表現すら出来ない人にメンドクサイとか言われたくないよね。大体こちとらだって好きで感情の波に乗っているわけじゃないんだから。感情の波がどどどどどーって来て、こっちは「ぎゃあああ!」って飲み込まれるだけなんだから(笑)。え?コントロールしろって?したらしたで、第二波が来たときもっと凄いことになるけどいいのかい?w
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本当は絶対男性陣の方が「メンドクサイ」と思うんだよね。プライドと建前がごちゃまぜになって、本音とか弱音なんて吐こうとはしないの。で、一人で頑張って頑張って、大事なものに八つ当たりしたりして。
忙しくなったり、時間が経つと、自分が持っているものが「当たり前」になってきたりして、冷たく接したり、乱暴に扱う人もいる。どうしてそれが「当たり前じゃない」という事を忘れてしまうのだろうか。で、手放してしまってから「嗚呼、当たり前じゃなかったんだ。まぁでも代わりのものを探せばいいしな」ってなるのは凄くもったいない。代わりのものを探す労力や手間だってかかるし、なにより失った対象が人間である場合、代わりの席を埋めることは誰にも出来ないからだ。
できる大人はスイッチの切り替えが出来る大人。
頑張る時間と、休息の時間。これの区別がしっかりつけられない人は、身の回りがぼろぼろと崩れていって、やがては取り返しの付かないほどの崩壊の波がやってくると私は思っている。常に頑張っていて、大事なものを見失った人は、そのうち独りであることに気が付くだろう。独りである人間が「人間性」を子供に問うたところで、果たして説得力があるだろうか。独りである人間が「自己の素晴らしさ」をどんなに周囲に誇示しようとも、誰も振り返らなくなる。
それはきっと、人間的魅力がなくなってしまうからだ。
いくら技術があったって、いくら能力があったって、人間的魅力がない人と関わりたいと思う人はいない。
きっとね、魅力の無い人って「自分の事だけしか考えてない人」なのだよ。頑張りすぎて、周囲を全く見なくなっちゃう人。だから休息の時間が絶対に必要だと私は思うんだ。周りを見て、ちゃんと「当たり前」に感謝できる人。
秦の始皇帝は確かに才能のある人だったけど、その治世が長く続かなかったのは、そのお人柄故。国民の反感買っちゃうくらいだもんね。そういう意味で、国民にしてみれば、魅力の無い暴君に過ぎなかったのかもしれない。
どんなに少しでもいい。頑張らない時間を、休息の時間を、とって欲しい。そうでなければ、貴方の魅力がなくなってしまうから。それは、とても勿体無い。知っていながら何もできない私は凄く歯がゆい。
だからせめて、そんな私の想いを、ほかならぬ人へ捧ぐ―――。
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