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いろんな事にくじけそうになりながら、毎日一生懸命生きてる小さな兎のヒトリゴト。
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わからない。大人になるというのはどういうことなのだろうか。経済的に自立すること?精神的に自立すること?つまりそれって独りで生きていくってことだよね。ずっと独りなんて痛くないのだろうか、寂しくないのだろうか。嗚呼、そうか。そういったものに対しても無感動・無感情になるのが大人になるってことなのか、納得。そうやって考えてみると、大人っていうのは自分が無感情な癖して子供には色々なものを求めるのね。例えば「子供らしさ」とか、「素直な心」とか。そんなもの大人になるのなら絶対にいらないはずのものなのに。もとい、大人になったら捨てなきゃならないものなのに。


最初から辛くて悲しい現実だけを見せていれば、大人になって独りになったって寂しいとか感じることはなくなるのではないだろうか。子供が夢も見るのは幼さ故の特権だけれども、そんな夢なんかみていたから現実がよけい辛く感じるのではないだろうか。だから現実を見たくないなんて思ってしまうのではないだろうか。


でもここで疑問。世の中が痛くて辛くて苦しいものでしかないと思っている大人は、何故生きているのだろう。生きていて楽しみが何もないならさっさと死んじゃえばいい。生きている意味なんて本人にとっても周囲にとってもないだろう。なのに大人は生きている。生きて、辛い現実を大人になろうとする人間につきつける。まるで死ぬために絶望する仲間を増やしてるみたい。ばかばかしい。


ああ、ちがうか。大人になるということは、独りで誰も信じないで生きていくということなのか。だから辛い現実を突きつけられたとしても、大人はそれを信用しないで生きていけるのか。だとしたらこの世の大人は誰一人として信頼しあってないということだよね。家族だって、夫婦だって、結局他人なんだもの。ならば、私はきっと大人にはなれないのだろう。むしろずっと子供のままでもいいやとおもってしまう。

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