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いろんな事にくじけそうになりながら、毎日一生懸命生きてる小さな兎のヒトリゴト。
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人の心は難しい。
解っているようで本当は解ってなかったり、自分を偽ってみたり。素直になれなくて大事なものを失ったり。でも、きっとそれすら正しかったと言い張ってみたり。
誰が正しいとか、何が悪いとか、そういうの全部すっとばして、自分の心に素直になれたとき、「自分はとんでもない間違いをおかした」ということに気が付く。気が付いて、気が付いて、、、一生後悔して苦しんでいく。


だけどね。やり直せない間違いってあるのかなって、甘い私なんかはおもってしまうわけですよ。そんなさー、一生後悔しつづけなきゃいけないほどの間違いってそうそうないと思う。人生短いようで長いわけだし、生きているうちに軌道修正は出来ると思うんだ。それは主観的なものでも構わない。自己の中で消化しきれれば、それは問題解決になるのだとおもう。他者がどう思おうが関係ない。自分が解決したとおもえば、後悔が消えれば、それでいいんだよね。


そんな考え方は自分本位の自己満足に過ぎないと仰る方もいる。それはそれでいいでしょう。とても正しいです。正論です。ハッキリ言って主観的な自己消化なんて自己満足に過ぎません。
でもさぁ、それでいいんだと私は思うよ。
結局そうやって自己消化させていかなければ、辛くて辛くて生きていけなくなっちゃうよ。前に進めなくなってしまう。自己満足なんてへったくれだといって暗くて狭い殻に閉じこもるよりかはよっぽどましだと思うのダ。


よく私は自分本位の人間だといわれるけど、結局誰も彼も自分本位なんだよ。どっかしらさ。100%相手の為に尽くせる人間なんて結局のところどこにもいないよ。だからイエス=キリストが崇められるのだよ。自分本位=我儘っていう公式が成り立つのかどうか非常に微妙なところだけど、でもこの公式をジャッジするのも結局は各自の主観なわけで。むしろ他人に対してお前は我儘だーって言いまくる人間の方がよっぽど我儘なのだと私は感じてしまうね。だって他者を非難することで自分は我儘ではないと主張しているのだから。いや、むしろ自分にとって都合のいい「我儘のカテゴリー」を確立させているといったほうが正しいのかな。


もうココまできちゃうと何が正しくて何が悪いのかなんて解らないね。真実を口にすることが時には悪になることもある。それがわからない人って結局自分が真実を言いたいだけなんだろうね。言って、満足して、周囲のことなんて何も考えやしない。本人は真実を口にしたのだから自分は悪くないと主張する。けれども周囲からしてみたらそれは単なる我儘でしかない。
嗚呼、そうか。少数派が多数派に仇をなしたらそれは「我儘」だと判定されるのか。あとはアレだね、自分に都合の悪い態度を取られる=我儘と言う人も多いね。まぁ、これは他人に迷惑を平気でかける=我儘と勘違いしている人が多いとはおもうよ。だって、本当にその他人に迷惑がかかってるのかどうかは、その他人にしかわからないんだから。もしそこに自分が含まれている場合、それは「他者に迷惑をかけているから」ではなく、「自分が迷惑をかけられているから」なんだよね。


色々話がずれたりしたけど、まぁ、人間はずるがしこくて、他者に責任を擦り付けたがる生き物だって話。

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